A.E.Powell(神智学)の動植物の略史 R.Steiner(人智学)の動物進化論
R.Steiner(人智学)のアトランティス大陸についてはこちらが詳しい
scott-elliotの地図
第四(アトランティス)人種の亜人種 ルモアハル族 トラヴァトリ族 トルテク族 トュラニア族 セム族 アッカド族 モンゴル族
主にA.E.パウエル『神智学大要』とscott-elliot『アトランティスの歴史』から抜粋、引用
①ルモアハル族 | |
A.E.Powell(神智学大要)によると… レムリア第七亜人種(青白体)の肉体が中核となっている。第七亜人種の植民地が現在のアシャンティ(海岸。北緯7度、西経5度のあたり。高温多湿、大洪水以前の動物たちが生息、植物化石の残骸が今でも石炭層に残っている)と西ナイジェリアに造られた。この土地は当時喜望峰と西アフリカの諸部分を包含する島大陸の北西部の半島だった。この人種の形を確立するのに…その進化の場である大陸すなわちアトランティス大陸を占めるまでに…約100万年の歳月を要した。 400万年から500万年前の間に出現した。レムリア大陸はまだ十分残っており、アトランティス大陸はその最盛期ほどの大きさにはまだ達していなかった。 マホガニーに似た黒色、約10~12フィート(300~360cm)もあったが次第に小さくなった。アトランティス大陸南部へ移動した者、アイスランドに隣接する半島に移動した者。氷河期の発生で南に追いやられた。三万年ごとの小氷河期、そのうえ大氷河期があり、ひとつが300万年前には進行中だった。氷の時代の厳しさによって南に数回降下することを余儀なくされ、しばしば彼らの強力な隣人(トラヴァトリ)によって北に押し戻された。 短頭、円頭人がこの種族の衰退期の平均的な形。現代のラプランド(サーミ/フェンニー?)人はルモアハル人の残存者の子孫である。 scott-elliot(アトランティスの歴史)によると… 彼らは最終的にアトランティスの南海岸に移住し、そこで彼らはその土地に住んでいたキツネザルの第6と第7の亜人種に対して絶え間なく戦いました。部族の多くは後に北に向かい、残りは永久に定住し、レムリア人の黒い種族と道を渡りました。その結果、私たちが話している時点では、最初の地図に対応する時間は、南部には純粋な人種が残っていませんでした。そして、後で見るように、それは赤道の州と大陸の極端な南に生息するこれらの黒人の人種の中で、トルテックの征服者は後に彼らを奴隷とした。 その後、彼らの子孫は、少なくとも名目上は、ユダヤ人の王の主題となった 氷河期が約3万年ごとに起こるのは、一部の天文学者によって既に認識されている事実です。しかし、アトランティスの歴史の中には2つの時代もあり、その間に氷帯は北部地域を荒廃させただけでなく、大陸全体に侵入し、すべての生き物が赤道に移住することを余儀なくされました。 これらの最初の移行は約300万年前のルモアハルスの時に行われ、2番目は約85万年前のトルテックスの時に行われました。 氷河期に関しては、北部地域の住民は冬の間、氷帯から遠く離れたさらに南に定住する義務があったが、夏の間、冬の接近に押し戻されて南に戻った瞬間まで狩猟に従事していた特定の地域に戻ることができたことに留意すべきである。 グリーンランドの岬と大スカンジナビアの島の西海岸と、中央アジア海の北の地域にも集落があった。 狩りと漁猟とで生活 R.Steiner(人智学)によると… 初期アトランティス人には、現代人の持つ論理性というものが備わっていなかったが、高度に記憶力が発達していました。この時期はまだ概念を形成する能力はなく、これまでに体験してきた形象による記憶の想起だけによって、出来事の意味を直感することができた。 ルモアハル人は、言語を発することを覚える。彼らの発する言語の響きはとても根源的であり、また自然的であった。言語の発達により、人間は自らの魂と外なる事物との結びつきを行い、言葉を用いて周囲の事物に名前を与えた。それとともに、たとえば病気を癒す力、植物を成長させる力、動物の凶暴性を鎮める力など、言葉に周囲の事物や人間に効力を発揮する力が込められていることを覚えていった。言葉の乱用は恐ろしい災いを生みだしてしまうものと感じていた。しかし、後期になると、この能力もまた衰退しはじめ、言葉の効力はしだいに弱まっていった。 最初期のアトランティス人(ルモアハル人)の場合、その魂の中には自然力に似た力が働いていた。彼らは後代の人々よりも一層周囲の自然力と調和していた。彼らの魂の力は現代人にくらべればはるかに自然的であり、発する言葉の響きもまたひじょうに自然的、根源的であった。 当時の言葉には病気を治癒し、植物を成長させ、凶暴な動物を鎮める力が、また、それ以外にも類似した諸効力があった。アトランティス後期になると、これらの効力は次第に薄れていった。 ルモアハル人は、このような言葉の効力を神的自然によるものと考えていた。自分自身の力であるとは考えなかった。 |
レムリア-後期 北緯7西経5 |
②トラヴァトリ族 | |
A.E.Powell(神智学大要)によると… アトランティス大陸西海岸に起こり、大陸を横断して広がり、次第に北方グリーンランドの対岸に向かって行った。皮膚は赤褐色、物理的に強力で大胆、ルモアハル人より小型、トラヴァトリ族はルモアハル族を北へ駆逐した。後にポセイドニスという島になった地域に主として定着。 植民はあらゆる方向に広がり、彼らトラヴァトリ人とトルテック人(第三亜人種)とが混血して西の諸島(のちにアメリカ大陸の一部になる)に住んだ。また現在のリオデジャネイロの南の果ての海岸にも達した。 2番目の地図で示された当時、彼らの子孫はアメリカ大陸の西海岸(カリフォルニア)に設立され、その後、極端な南の海岸(リオデジャネイロ)と同時に形成されました。また、スカンジナビアの東海岸に固定されているのに対し、その多くは海を渡り、アフリカを迂回してインド諸島に到達しました。 他の者達はスカンジナビア島の東海岸を占め、何名かがインドに達して現地のレムリア人と交じって、ドラヴィド人種を形成した。 彼らはマヌによって太陽崇拝を教えられ、山上を利用し、直立した巨大な一枚岩を円形に配置したものを建造した。太陽を崇拝するものであり、もっと遠い星座のさらに複雑な天文観測のために用いられた。 4番目の地図で示された時点で、我々は南米全体に散在する赤い肌の部族の一つ、南アメリカの南部を占めるトラヴァトリの人々を見つける。したがって、パタゴン人は遠くの祖先であるトラボラトリスを持っていたと結論付けることができます。 scott-elliot(アトランティスの歴史)によると… アトランティスの西海岸の島。そこから主に大陸の中心に向かって分散したが、徐々にグリーンランドの前に広がる海岸に向かって北に移動した。この人々は山を愛した。そして、主な中心は、後にポセイドン島となった土地(ルタ)の近くにある、内部の山岳地帯にあった、地図1と4を比較することによって見ることができるように。 最初の地図に代表されていた当時、トラバトリスは、大陸の北岸に生息し、トラバトリスとトルテク人の交わりからアメリカ大陸の一部を形成した西部の島々に生息していた。 この種族の遺跡は、中央ヨーロッパの第四層に見られるルモアハルの遺跡と同様でした。そして「クロマニヨン人」、ドリチョ頭症は、その退廃時の種族の平均タイプと考えることができます。 狩りと漁猟 農耕制度を持っていた R.Steiner(人智学)によると… トラヴァトリ人の時代になると、記憶が共通の思い出によって結ばれた、血でつながった人間集団が生じる。そして、共同生活の内部で先祖崇拝がはじまる。 平和を愛し、集落を形成し、入植地を作った。彼らとともに偶蹄類が出現。 |
グリーンランド 地図-1 地図-4 |
③トルテク族 | |
A.E.Powell(神智学大要)によると… 北緯30度、アトランティス大陸西海岸に起きた。周りの国全体と西海岸の大部分が彼らの住むところとなった。のちになると彼らは大陸の端から端まで進出し、帝王たちは東海岸にある首都より、ほとんど全世界を支配した。 濃い赤褐色、赤または銅色、身長は初期には平均8フィート(2,4m)あったが次第に我々の身丈になった。背筋は真っすぐ、姿形も良く、古代ギリシャ人を思わせるものがあった。この亜人種は全アトランティス大陸人の中でももっとも立派、かつ堂々としたタイプで、物質的権力と栄光とをもって全アトランティスを支配した。彼らは群を抜いて秀で、活力に溢れていたため、後世、他の亜人種と混血してもその子孫は基本的にずっとトルテク人的であった。事実、数十万年を経た後でさえ、彼らはメキシコとペルーにおいて絢爛たる支配を続けた。彼らの退化した子孫が、北方からきた獰猛なアズテク人(トュラニアの一支族)によって征服されたのは遥か後世のことである。 始めのうち彼らは少数の独立した小王国に分かれ、互いに戦い、南のレムリロ・ルモアハル人たちと戦っていた。いくつかの大戦争のあと、約100万年前に今まで独立していた王国たちが合併して大連邦となり、一人の帝王だけを首長に仰ぐことになった。その第二代目の帝王が「黄金門」都市を創立したマヌである。同じ名前の都市が多数できたがマヌが建てたのが始まり。 貴族と中流階級だけがトルテクの純血、下層階級は混血児たちの子孫、主に戦争で捕虜になり婢僕にさせられた男女からなっていた。 この時期にアルシオン(クリシュナムルティ)の「伝記」で、シリウス(リードビータ司教)、オリオン、レオ(ファブリツィオ・ルスポリ)、と呼ばれる人物らを含む一群の「奉仕者」らがやって来た。 scott-elliot(アトランティスの歴史)によると… 数千年間アトランティス大陸全体を支配し、大きな力と物質的な力を享受した。この種は非常に強く、その後、本質的にトルテックのままであったそのタイプを変更することができず、数十万年後、私たちはメキシコとペルーで素晴らしさで君臨するこの種の子孫を見つけます。 彼ら退廃的な子孫が北部アステカより残酷な部族によって征服されるずっと前の世紀。この品種はまた、赤茶色の顔色を持っていたが、彼らはトラバトリスよりも赤いか良い銅でした。彼らはまた、背が高かった。 アトランティスの西海岸の近くに位置していました。北緯30度、大陸の西海岸全体に沿って広がる周囲の土地はすべて、完全に純粋なトルテックの品種によって埋め込まれました。しかし、後で見るように、彼らの政治組織について言えば、彼らの領土はその後大陸全体に広がりました。トルテック皇帝がほぼ普遍的な権威を行使したのは、東海岸の彼らの偉大な首都からでした。 トゥラニア人とモンゴル人(トゥラニア人の子孫)の顔色、しかしセム人とアッカド人の顔色 比較的白かった。 初期トルテク時代に人口が増大、文明が発達したため土地の所有制度が必要になった。この制度がよくできていたため、貧乏や不足というものはなかった。土地、産物、家畜すべてが皇帝のものとみなされた。各地区の王や総督が管理と責任を負った。王の農業顧問は天文学に精通し、意のままに雨を降らし、氷河期の影響を半ば中和できた。 ポセイドニスの後期になると元の土地制度は今日のような個人所有制に変わってしまった。元の制度の名残りが約14,000年前のペルーのインカ時代まで生き残った。 約八十五万年前トルテク人降盛期に氷河期が起き、そのためアトランティスの大部分が荒廃した 黄金時代 最高の文明を発展させ、アトランティスの人々の中ですべての帝国の中で最も強力な組織をしたのはトルテックの人種。その後、遺伝的継承の原則が最初に確立された 最初、小さな多数の独立王国に分割されていた。 常に互いに争い、唯一、南のレムリオ-ルモアハルスに対する際に団結した。ルモアハルスは徐々に征服され、彼らの部族のいくつかは奴隷にされた。しかし、約100万年前、これらの別々の王国は、皇帝が率いる単一の大規模な連合に団結しました。その二代目の皇帝(マヌ)が黄金門都市を建設した。 外宇宙からアルシオン、シリウス、レオと呼ばれる人物を含む一群の『奉仕者』がやってきて、彼らは千年から千二百年ごとに化身しグループを形成した。 聖王朝は数千年にわたりアトランティス大陸、西の島々、東に横たわる島の南部を支配した。普通権力は父から子へ継承され、必要な時にはイニシエイト側の集団から補われた。 トルテクの黄金時代の人口密度は。現在のイングランドとベルギーの人口密度にほぼ等しい 黄金時代が約十万年続いたあと、衰亡が始まった。多くの僧侶、多くの属国の王たちが自分の才能と権力とを自己の勢力扶置、富と権力の獲得、敵の屈服と破滅、あらゆる種類の利己的、悪意の目的に用い始めた。これはやがて魔法となり、オカルト・ハイアラーキーとの絶縁をもたらすことになった。知識の冒涜と利己的な目的への使用は、魔術と呼ばれるものを構成する。 しかも『黒い魔術』は急速に拡がった。「黒魔術」の支持者は反乱を起こして対立皇帝を権力に昇格させた。後者は、大きな闘争と戦いの後、「黄金門の都市」と呼ばれる首都から『白い皇帝』を追い出し、王位を置き換えた。北に追い込まれた『白い皇帝』は、トラヴァトリスによって設立された都市に定住したが、もはや力は失われた。これらの出来事は、最初の大災害の約5万年前(約八十五万年前)に起こった。 全大陸の秘伝を受けた僧侶たち、また、北の『白い皇帝』も、大破局が迫っていることをよく知っていた。彼らは予言的警告を発し、ついに移民を率いて大陸の外へ出た。国の支配者たちはこれらの他出移民が王国を貧しくし、かつ人口の減少を来すとして激怒し非難した。そのため移民たちは夜にまぎれて出港しなければならなかった。 八十万年前、最初の大激変が起きた、全体陸が激しく裂かれ、あらゆる国々が津波によって荒廃した沼沢と化し、黄金門市は滅びた。 ルタ島では、第三の地図に対応する当時、トルテク王朝は権力に立ち上がり、島の大部分を支流王の助けを借りて支配しました。この王朝は、4つの期間の間にますます発達した黒魔術にふけり、ついに、この巨大な悪の世界を大いに浄化する避けられない大惨事をもたらした。 ポセイドン島では、人口は多かれ少なかれ混在していた。2つの王国と西に小さな共和国が島を共有した。北部は開始された王によって支配され、南部では世襲の原則が人々に置き換えられました。王朝の民族は消えたが、トルテック出身の王たちは時々北と南部で権力を握った。 数千年後にメキシコとペルーの帝国が設立された北アメリカと南アメリカの大陸で、トルテックの人種が広がりました。これらの帝国の力は、歴史によって、または少なくとも壮大な建築遺跡によって裏付けられた伝統によって認識されています。 ここでは、メキシコ帝国によって達成され、何世紀にもわたって保存されている力と重要性にもかかわらず、今日でも偉大な文明を特徴づけるすべての発展にもかかわらず、これらの人々がインカの支配下にあった間、この帝国はペルー人のそれに匹敵することは決してなかったことに留意すべきです。 約14,000年前。国民の幸福に関しては、行政、政府の保護行動、土地の公平な分配、そして住民の純粋さと宗教性に関しては、当時のペルー国家は、アトランティスの原始大陸におけるトルテックの黄金時代の弱体化した反映とみなすことができる。 R.Steiner(人智学)によると… トルテク人の時代には、社会共同生活が発展し、国家のような形態が生まれてくる。そして有能で尊敬されるリーダーが現れるようになり、代々世襲された。記憶力の発達は一方で個人の強大な権力を生みだし、そのような系図の中から権力を個人の利益にしようとする利己心が生じ、権力の乱用がはじまるようになる。 支配しようとする意志。優れた記憶力を有する者を指導者、先導者、あるいは専制君主にした。ほぼそのころ、げっ歯類が特殊な発達を始めた。 ※・トルテックという言葉は、ナワトル語で「賢明な芸術家」を意味する。 |
北緯30度線 地図-1 地図-2 アタナシウス キルヒャー(1602~1680)の地図 地図では左にアフリカ、右にアメリカがある。下が北 |
④トュラニア族 | |
A.E.Powell(神智学大要)によると… アトランティス大陸の東側 トラヴァトリ人の住んでいた山岳地帯の南側に勃興 ※メソアメリカの東の方角。マヤ族の「祖先は東から来た」というのもなんとなくうなずける。大陸の一部が残っていたのかも。 彼らはたいてい大陸の中心とトラヴァトリ人地区の西部と南部とに住んでいたが、トルテク人たちもこの地域に住んでいた。トュラニア族は母国である大陸では完全に支配力を振るうには至らなかった。彼らは常に移民 多くは東部に移民 80万年前から20万年前にかけて彼らはさらに南、今日のモロッコとアルジェリアを占めてそこで生活した。また中央アジア海の東海岸と西海岸をも占め、一部はさらに東へ移動 中国の今日の内陸部は彼らに一番近い土地だった。 彼らの一支族は アズテク人(無法、酷薄、残忍 ある時期には女性も戦争に加わった)となり、トルテク人が起こした最後の大帝国を後に征服する。 戦争でトルテク人にいつも負けるため、人口増加のために法律を作って男を自分の家族の扶養義務から解放し、子どもは国の財産とみなして国が扶養した。出生率はあがったが結婚は無視され、家庭生活は壊れてこの計画は失敗におわった。他にも経済問題の社会的解決を努力したが、これらも放棄した。トュラニア人はのちの四つの「黄色」亜人種の始まりである。言語は基本的にトラヴァトリ語だが、手に入れたあとは全く異なる言語にした。 結局、族全体が分裂して無政府と混乱に陥るという惨憺たる結果に終わった。トュラニア人は動物的激情が非常に強くなった人種 カルデアはトュラニア人の後裔。紀元前30,000年頃、トュラニア人のいくつかの小さな、喧嘩好きな種族より成る国民がカルデア※1で原始農業を営んでいた。 ※1:Chaldea:メソポタミア南東部に広がる沼沢地域の歴史的呼称である。紀元前10世紀以降にこの地に移り住んだセム系遊牧民の諸部族はカルデア人と呼ばれるようになった。カルデア人は紀元前7世紀に新バビロニア王国を建国した。 scott-elliot(アトランティスの歴史)によると… トゥラニア人は、トラバトリの人々が住む山岳地帯の南にある大陸の東海岸に自生していました。 この場所は、地図1の番号4に示されています。トゥラニア人は最も遠い時代に来た入植者でした。そして彼らの多くはアトランティスの東の土地に移住しました。彼らの部族の一部とこのレースのいくつかの家族は非常に強力になりましたが、彼らは大陸を支配したことはありません。 トラヴァトリスが住む山岳地帯の西と南に位置する大陸の中央地域(ルタ島となったあたり)は、トルテックスとこれらの土地を共有していたため、排他的な領域ではありませんでした。 R.Steiner(人智学)によると… 生命力を自由に支配できるアトランティス時代におけるこのような権力の乱用は、とくに第四亜人種である原トゥラン人において大規模に起こり、集団相互に大きな破壊を生じるようになった。 偉大で力強い人種の複数の秘教学院が彼らの裏切り行為の結果、滅びた。彼らはアトランティス人に与えられた力…それを通じて生物を作り変えることができる…を裏切り、彼らの利己的な目的のために使った。秘儀の略奪の結果、ある種の暗さが生じ、そのなかにコウモリ目が発達した。この第四アトランティス時代の秘儀に対する裏切りによって、アトランティス大陸が徐々に沈み始めた。この過程は数千年にわたって続いた。彼らの子孫は大陸水没後、ウラル・アルタイ地方に住み着いた。 |
地図-1 |
⑤セム族 | |
A.E.Powell(神智学大要)によると… 最初のセム人は現在のスコットランド、アイルランドおよびその周辺のいくつかの海域に相当する山国で興った。アトランティスの中でも一番好ましくない地域で彼らは成長し、栄え、南方の侵略国家に対してよく独立を保ち、ついに海外と植民地まで広がる時期がやってきた。 彼らは乱暴で不公平で常に隣国、特に彼らの次にやってきた亜人種アッカディアの増大してゆく勢力と闘っていた。族長制度の政治形態に傾き、彼らの植民(たいていは遊牧民)もほとんど例外なくこの形態をとっていた。80万年前から20万年前にかけてかなりの帝国を築き上げ、例の黄金門市さえ占領した。しかし、結局はアッカディア人に道を譲らなければならなくなり、ついに10万年前に打倒された。 80万年前から20万年前にわたって、彼らは西と東に拡がった。西は現在の北アメリカに及んだ。インディアンたちの中にセム族のタイプが見られるのはこのためである。東は現在のヨーロッパ、アフリカ、アジア全体を含む大陸の北海岸に及んだ。 古代エジプト人とその周辺の国民はある程度セム族の血が交じっていた。言語はトルテク語が基本 scott-elliot(アトランティスの歴史)によると… 原始的なユダヤ主義人種や第5のサブレースに関しては、民族学者はやや困惑しており、それらが基づいている日付の完全な不十分さを考えると非常に理解できます。(ひじょうに長い期間にわたっている:80万年前から20万年前)このサブレースは、2つの北東半島の南部を形成する山岳地帯に由来し、我々が見てきたように、現在スコットランド、アイルランド、そして周辺の海の一部によって表されています。場所は地図1の番号5に指定されています。 大陸のこのあまり楽しくない部分では、種は何世紀にもわたって発展し、南部のベリコース王からの独立を維持し、それが外に広がり、植民地を形成するまで繁栄しました。 R.Steiner(人智学)によると… 第五亜人種・原セム人になると、そのような破壊を防ぐために利己心を抑制する論理的な思考力が育ちはじめる。一種のロジック(論理、理屈)を発達させた。 思考力の柔軟性を保った唯一の人種で、そのなかのえり抜きの集団が偉大な最初のリーダー・マヌ(ノア)の指導のもと、最初の大破局の直前にアトランティス大陸から移住するのを待っていた。原セム人:原アーリア人種。ノアの箱船に乗せられた「清い動物」とは家畜、人間に連れ添う動物。 マヌの指導のもと、原セム人たちは中央アジアやモンゴルまで移動し、そこでそれら諸人種のための新たな種まきをした。この仕事はウシ、ウマ、ヒツジ、ヤギも分担し、乗るための動物、牧畜用の動物、荷物運搬用の動物が、最終的には東から西へ人間とともに戻っていき、文化の創設を助けた。特に有蹄類の草食動物の協力によって。 同時に別のことが起きた。大惨事がアトランティス大陸の崩壊をもたらした。続いて氷河期となり、巨大な氷河が北から南へ、ヨーロッパ、アジア、北アメリカの各大陸を通って進んだ。地中海は干上がり、氷河はアトラス山脈やアラビア半島にまで達したが、その後徐々に後退しはじめた。モンゴルやインドに野生の馬の群れが現れた。 第五根幹(ポスト・アトランティス)人類はこの種から発生した。 |
地図-1 地図-2 |
⑥アッカド族 | |
A.E.Powell(神智学)によると… アッカディア人は80万年前の大激変のため、アトランティスの東、今日のサルディニア(イタリア半島西方、コルシカ島の南の地中海に位置するイタリア領の島。地中海ではシチリア島に次いで2番目に大きな島)のあたりに相当する土地に興った。間もなく、今では縮小してしまったアトランティス大陸に繁殖し、海陸でセム族と闘い、両軍ともかなりの艦隊を投じた。約10万年前についにセム族を打ち負かし、セム族の古くからの首都にアッカディア人の王朝を打ち立て、数百年にわたって賢政を布いた。貿易、航海、植民とに優れていた 法律をよく守り、定着した社会に居住し、寡頭政治(全部または大半の政治権力を、特定の少数の人々が握っている政体。少数者支配の体制)を生み出した。一都市に二人の統治者という二元制度を敷き、天文学と星学とに長足の進歩をとげた。 かれらは東に拡がり後のレバント(現代のシリア、レバノン、パレスチナなど)の海岸地帯を占領、さらにアラビア、ペルシャにまで伸び、エジプトの人口増加の一因となった。初期のエトルスカ人、フェニキア人はこの人種の分枝であり、今日のバスク人はおそらく、主にアッカディア人の末裔 初期のアッカディア時代、約10万年前、ある移民団が当時のヨーロッパのスカンジナビア部分にあたる土地にストーンヘンジを建立した。僧侶たちとその信徒たちは初期アッカディアの血統に属し、丈が高く、色白、長頭 この原住民たちはたいていルモアハル人の退化した子孫 ストーンヘンジの粗削りの単純さは、めいめいが勝手に自分自身の肖像を拝んでいた当時の神殿の過剰装飾に対するひとつの抗議であった。のちの「黄色」亜人種の第三番目にあたるアッカディア人はセム人種のように比較的白色だった。トルテク語を下地に、修正しつつ、独自の言語を作り出した scott-elliot(アトランティスの歴史)によると… セミテスの力が発達している間に何十万年も経過し、2番目の地図によって示された時間に達したことを忘れてはならない。それは落ち着きのない激動のレースで、隣人との戦争で、特に当時のアッカディアンの力が高まっていました。 この種は80万年前の大災害の後にのみ登場したので、アッカディアンまたは第六次人種の起源の場所は、地図2(6番によって)に示されています。それは、南東端が古代大陸に向かって広がった大きな半島の中心に位置するアトランティスの東の国に由来しています。位置は、北緯42度から東経10度の間に配置することができます。 しかし、彼らは長い間、原産国に閉じ込めませんでした。彼らはアトランティス大陸に侵攻し、その後すでに減少しました。彼らは陸と海でセミテスのためにいくつかの戦いを戦い、かなりの艦隊が両側で破壊されました。最後に、10万年前、セミテスは完全に敗北し、古代のユダヤの首都に定住したアッカド王朝は数百年間国を賢明に支配しました。彼らは偉大な商人、ナビゲーター、植民地主義者でした。それは遠い国々とのコミュニケーションのいくつかのセンターを設立しました。 R.Steiner(人智学)によると… 第六亜人種アッカド人になると、思考力はますます向上していく。それまでの共通の記憶に基づく秩序と調和によって、法律と規則が考えだされるようになる。また、人々は思考力が発展することにより、功利性もまた強まり、これによって冒険と新たな建設の気運が高められ、移住や貿易が盛んに行われるようになった。世界で最初の計算する人々。 アッカド人の主要グループは現在の南ヨーロッパと北アフリカを横断した。北に向かったグループはヒュペルボレアス系の人々の集落に出くわし、南ではレムリア人の子孫に出会った。まもなくこれらの地域は住民であふれ、現在のような人口過剰状態になっていった。 彼らの子孫は、カナダ・ノバスコシアに住み着いた。 第七亜人種である蒙古人の場合は、第四亜人種(原トゥラン人)の特徴が強く残り、自然力、生命力に対する信仰を強く残していたとされる。また、第六亜人種、第七亜人種の思考力はその後の新たな発展を遂げるに際し、しだいに相応しくなくなっていった。 |
地図-2 北緯42度から東経10度の間 |
⑦モンゴル族 | |
A.E.Powell(神智学大要)によると… 母なる大陸(アトランティス)とのつながりを全く持たなかった唯一の人種。北緯63度東経140度あたり、東シベリアのタタール平原に興った トュラニア人種の直系の末裔 次第にアジアの大部分を掌握した。その人口が甚だしく増加したため今日でさえ地球上の住民の大部分は専門的にいえば蒙古人種に属している。ただその多くがもっと古い時代の人種の血液で濃く彩られているために、蒙古人とはほとんど思われないだけである。 遊牧民であり、残忍なトュラニア人よりは善くなっていて、より宗教的であると同時にサイキックでもあった。 蒙古人種は一度ならず北アジアより溢れ、ベーリング海峡を渡ってアメリカに入って行った。これらの移民のキタン(契丹)人は北アメリカ・インディアン中のいくつかの部族に痕跡を残し、人種学者たちもそれを確認している。 ハンガリア人はその傍系子孫であるが、アーリア人の血が混入。マレー人も傍系子孫であるが、力を失ったレムリア人の血が混入 蒙古人は現代における完全な意味で最後のアトランティス亜人種であり、実際のところまだその発展の頂点にはたっしておらず、日本人にはまだ世界に貢献するものがある。 scott-elliot(アトランティスの歴史)によると… 第7の亜人種は、原始的な大陸とは関係のない唯一の人種。北緯63度から東経140度の間に位置するタルタリー(タタール)平原(第7番)に自生し、アジアの大部分で徐々に置き換えられたトゥラニア族から直接降りた。 この亜人種は非常に倍増しました。そして今日でも、地球に住む男性の大半はそれに付着していますが、その枝の多くは原始的な人種の血によって深く着色されているので、ほとんど区別できません。 R.Steiner(人智学)によると… アトランティス文化の末裔の中で、物質界への関与が最も少ない。アストラル体に腐朽実質を含み、ジンギスカン率いるモンゴル進軍はヨーロッパに対するルシファーの攻撃だった。 意志力と思考力を結びつけた。彼らは常に移動し、現在のスカンジナビア、北ドイツ、バルト諸国、ロシアに至るまで広大な地域を渡り歩いた。彼らはその地域全体にあふれ、古代レムリア人の生き残りと出会ったところでは合流し、一緒に発展した。 最終的にアトランティス時代の終わりには、三つのグループの人々が存在するようになった。 ①神的叡智を教示し、神的行為を遂行できる人々 ②大多数の民衆 ③思考力を発展することができ、①のグループの教える原則を把握することができた少数の人々 この③のグループの人々は、第五亜人類原セム人の流れをくんでいたが、その中から「マヌ」とよばれる人類の最高指導者が出現した。 |
地図-2 北緯63度から東経140度の間 |