地質時代区分


第四紀洪積世末期
地質時代区分の一つ。更新世(最新世ともいう)Pleistoceneと同義である。新生代は,哺乳類時代とよばれ,第三紀と第四紀に区分されるが,両紀の境界は,人類および現在型の哺乳類が現れ,温暖な気候が寒冷化して氷河が発達し始めた時期においており,第四紀は,人類時代とも氷河時代ともよばれる。時代区分の基準は,第18回国際地質学会議(1948,ロンドン)で設定された。 第四紀は,さらに,洪積世(更新世)と沖積世(完新世)に区分され,地球の歴史の現代に当たる沖積世(完新世)より以前の,200万~1万年前が洪積世(更新世)である。
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地質時代と沖積層・洪積層
地質時代は、地層の上下関係や地層に残る化石の研究を基本として、地球誕生から今日までを時間的に区分したものです。生物の変遷と地質時代との対応は、下表に示すとおりです。表からわかるようにその時代を代表する動物としては、古生代が魚類・両生類、中生代がは虫類、新生代が哺乳類という関係になります。また、地層や岩体に含まれる放射性元素を利用した測定から、現在ではこれらの地質時代が今から何万年あるいは何億年前であったかという地質時代尺度が与えられています。
従来より、第四紀を沖積世・洪積世という言葉で区分して、広く用いられていますが、現在では、地質学の第四紀の時代区分としては、完新世(沖積世と同義)、更新世(洪積世)が用いられています。
「沖積層」は水辺の堆積物、特に河川沿いの堆積物よりなる地層の意味をもっており、「洪積層」は、洪水堆積物よりなる地層の意味です。 昔の人は川辺の堆積物は、その川自身によって洗い出され運搬され、堆積したものであることを認識し、これを「沖積層」いいましたが、これと性質は似ているものの、現在の川筋とは無関係な広い分布をもつ堆積物は、伝説のノアの大洪水の所産であると考え、これを「洪積層」と呼んだのです。
わが国では、前述したように地質時代的な年代単元として、第四紀洪積世(=更新世、氷河時代、約200万年前ないし1万年前)に堆積した地層に対し「洪積層」と呼び、第四紀沖積世(=完新世、現世、後氷期、1万年前ないし現在)に堆積した地層に対し「沖積層」と呼ぶのが一般的です。





沖積低地
低地とは平地であり、かつ隣接する河川や海・湖などの水面からの相対的な高さが低い土地をいいます。この低地のうち第四紀沖積世(更新世末~完新世)に河川や海の力により堆積してできた場所を沖積低地といいます。軟弱地盤が多く、圧密沈下、液状化などの問題をもつ地盤となっていることが多いため、住宅建設などには注意が必要です。
沖積低地にあっても比較的良好な地盤といえる場所は、河川上流の扇状地、海岸砂州や砂丘などの礫質土、砂質土層からなる地域です。



洪積台地
沖積低地より一段高く、まわりを崖や急斜面で囲まれた平たん地です。第四紀洪積世に低地や浅海底であった場所が隆起して形成されたため洪積台地(段丘)と呼ばれています。
平旦で地層の連続性がよいこと、密実な砂や砂礫層が多くの場合、比較的浅い場所に分布しています。地下水が低く、N値の小さい粘土も過圧密であることなどから、建築基礎地盤として好条件にあることが多い地域です。
http://www.nikken-kiso.co.jp/material_02.html









「人類の時代」-人類は更新世と完新世に発展-
◆さかのぼる人類の起源
 最古の人類は猿人と呼ばれます。猿人の化石はアフリカでしか発見されていませんから、人類はまずアフリカで誕生したと考えられています。相次ぐ新しい発見により、人類の登場時期は次第にさかのぼっています。  1924年に南アフリカで約100万年前の猿人の化石人骨が発見され、アウストラロピテクス・アフリカヌスと名づけられました。1992年にはエチオピアで、約500万年前とされる猿人の化石が発見されアルディピテクス・ラミダス(ラミダス猿人)と名づけられました。2002年にはチャドで、なんと約700万年前とされる猿人の化石が発見されました(サヘラントロプス・チャデンシス)。でも、「本当に人類 なの?」と疑う意見もあります。

 さて、人類が登場した700万年前というのは、地質学や古生物学の時期区分でいうと、新第三紀の中新世後期という時期にあたります。
 人類は新第三紀の終り近くから第四紀を通じて発展しました。そこで第四紀のことを「人類の時代」とも、「人類紀」とも呼んでいるのです。
 第四紀は、約1万年前を境に、さらに「更新世(こうしんせい)」と「完新世(かんしんせい)」という二つの時期に区分されます。更新世はかつては「洪積世(こうせきせい)」、完新世は「沖積世(ちゅうせきせい)」と呼ばれていました。
 洪積世というのは、「洪水による堆積物があった時代」という意味です。これを聞くと、神様が堕落した人間を滅ぼすために洪水を起こしたという、あの「ノアの箱船」(『旧約聖書』創世記)のお話を思い出しますね。正直者のノアの一家と、ノアたちによって箱船に避難した動物たち以外の生きとし生けるものは、いったん地球上から滅んでしまったといいます。数百㎞も離れた遠い地域から運ばれたモレーン(氷堆石(ひょうたいせき))や、山腹をスプーン状の形にざっくりとえぐったカール(圏谷(けんこく))などを見た昔の人たちは、この時の洪水によって大地に刻み込まれた名残りの地形だと考えたのでしょう。
 ところが洪積世の地形は、洪水がつくった地形ではないことがわかり、時代区分の名称としてふさわしくない、ということになりました。そのため、「洪積世」(と「沖積世」)という表現は、欧米ではすでに使用されていません。ただ、ドイツでは20世紀半ばまで使われ、明治の初めにドイツの地質学を受け入れた日本では、これらの用語を長らく使っていたのです。
 ちなみに、沖積世の方は「川が土砂を運搬・堆積して地形をつくった時代」という意味です。氷河期末期の沖積層も存在するので、時期の呼び方として「沖積世」を使うのは誤解のもとにもなりかねません。「洪積世」「沖積世」の二用語は、学術用語としては不適切だ、と学者たちは考えました。そのため、現在、この二つの用語は、地質学の時期区分としては使われなくなりました。ただし、「洪積台地」「沖積平野」という形で、地理用語の中には現在でも残っています。

更新世は氷河の時代
 更新世の地形は、実は氷河によってつくられたものでした。氷河が移動する際に、大地に刻みつけた地形だったのです。そこで、更新世のことを、「氷河時代」ともいうのです。
「氷河時代」は、約10回にわたる寒冷な時期(氷期)とその間の寒さの緩んだ時期(間氷期)の繰り返しからなりますが、海面は現在にくらべると100m以上、下降していたと考えられています。そのため、更新世の時期には、日本列島はアジア大陸と陸続きになっていました。この陸続きの部分を「陸橋(りくきょう)」といいます。この陸橋を渡って、北からはマンモスやヘラジカ、南からはナウマンゾウやオオツノジカなどがやってきました。マンモスに長い体毛が生え、耳がアフリカゾウの1/10の大きさしかないのは、熱を逃がさないための工夫です。寒い地方の動物の特徴がよくわかりますね。こうした大型動物を追って、人類も何回かにわたって、日本列島にやってきたものと考えられています。

 人類がこれらの動物を狩るためにやってきたという証拠の一つとして、たとえば長野県の野尻湖底遺跡(のじりこていいせき)があります。野尻湖底遺跡では、約2万年前の地層から、人類の使用した旧石器(打製石器)と、ナウマンゾウの骨が一緒に出てきます。このナウマンゾウの名前は、フォッサマグナ(大地溝帯。「大きな割れ目」という意味)の発見者であるドイツ人地質学者ハインリッヒ・エドムント・ナウマン(1854~1927。明治政府の「御雇い外国人」の一人として1875年来日、1885年帰国)にちなんで命名されました。 ◆マンモスの名前の由来  ナウマンゾウがナウマンに由来するなら、マンモスは何に由来するのでしょうか。  これには諸説あってはっきりとはわかりません。一説によると、『聖書』にあるカバを意味する「ベヘモス」という言葉がもとになっている言われています。 ベヘモスはアラブ語で「メヘモス」と言います。アラブ商人は10~11世紀頃シベリアでマンモスの牙を買い、アラル海近辺までこれを運んでは装飾品に加工し、大もうけしていました。17世紀にモスクワを訪れた外国人は、これを「マモウト」と記しているそうです。18世紀になると、この象に「エレファス・マンモス」という学名 がつけられました。この学名はその後「エレファス・マンモンチウス」に改められ、現在は「エレファス・プリミゲニウス(「最初に生まれた象」の意)」という学名が使われています。

【参考】
・亀井節夫『日本に象がいたころ』1967年、岩波書店(岩波新書)
http://www2.odn.ne.jp/nihonsinotobira/sub1.html

第四紀層
 約170万年前から現代までの、人類が出現したり、氷河に覆われた時代の地層のことです。第四紀は、氷河時代や洪積世と呼ばれる更新世と、後氷期や沖積世と呼ばれる完新世に分けられ、この時代の堆積岩や火成岩を第四紀系といいます。
http://www.thr.mlit.go.jp/bumon/j76101/homepage/river/enc/words/04ta/ta-003.html
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