ユーラシアプレート (Eurasian Plate)
東シベリア、インド亜大陸、アラビア半島の3地域を除くユーラシア大陸の地殻及びマントル上方のリソスフェアを形成する大陸プレートである。大西洋中央海嶺から北極海、ベルホヤンスク山脈、間宮海峡、日本海東部、本州中部(フォッサマグナ地域)にかけての長いラインで北アメリカプレートと接している。また、相模トラフから南海トラフ、南西諸島海溝、フィリピン海溝にかけての海域ではフィリピン海プレートがユーラシアプレートの下に沈み込んでいる。なお、日本付近のプレートについては諸説あり、過去には日本列島全体がユーラシアプレートに属するという見方がされてきたが、日本海東縁変動帯で地震が多発したことなどから糸魚川静岡構造線辺りを境界に東日本が北アメリカプレートに属するという見方が主流となり、最近ではユーラシアプレートをさらに細かく分けて西南日本はアムールプレート、東北日本はオホーツクプレートとする説も出てきている[1]。
ニューギニア島西方沖からスンダ海溝にかけてオーストラリアプレートが沈み込んでおり、アラカン山脈やパトカイ山脈では同プレートと衝突している。ヒマラヤ山脈ではインドプレートと衝突して高い山脈を形成している。ザグロス山脈南端からシリア北部、キプロス島付近でアラビアプレートと、キプロス島からジブラルタル海峡、アゾレス諸島付近でアフリカプレートとそれぞれ衝突しており、アゾレス諸島付近ではトランスフォーム断層を作っている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88
イザナギプレート
白亜紀後期ごろに存在したプレートの一つ。日本列島の原型を作ったため、日本神話で日本列島を作った神伊弉諾尊に由来した名をつけられた。
1億3千万 - 1億年前に、現在の北西太平洋に相当する地域に存在した。アジア大陸に衝突しながら北東に運動したため多くの横ずれ断層を発生させた。中央構造線もその一つである。現在の中国南部付近にあった島を移動させ、中国北東部に衝突させた。これが日本列島の原型である。西日本の地質(たとえば三波川変成帯)に大きな影響を与え、現在の北海道の中央を縦断していた。
その後イザナギプレートは北西に向かって運動し始め、年に20~30cmという速いスピードでユーラシアプレートの下に沈み込んだ。約2千5百万年前頃には完全に埋没して消滅した。イザナギプレートの消滅後は、北から北米プレート、東から太平洋プレート、南からはフィリピン海プレートがそれぞれ押し寄せている。
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北アメリカプレート (North American Plate)
アイスランド西部、グリーンランド、北アメリカ大陸および東シベリアから東日本にかけての地殻及びマントル上方のリソスフェアを形成する大陸プレートである。「北米プレート」と呼称されることもある。過去には、東太平洋では太平洋プレートとファラロンプレートが海嶺から東西に広がっていたと見られている。しかし、その海嶺は次第に東へずれていき、北アメリカプレートの下に沈み込み始めると同時に、衝撃によりいくつかのプレートに分かれた。現在残っているファラロンプレートは完全に北アメリカプレートの下にあり、カリフォルニア湾やサンアンドレアス断層を形成している。ファラオンプレートから分かれたファンデフカプレートは大部分がすでに沈み込んでいるが、一部はまだ太平洋の海底にある。また、同じく分かれたと見られているのがココスプレートとナスカプレートである
日本の本州中部のフォッサマグナ地域から日本海東部、間宮海峡、ベルホヤンスク山脈、チェルスキー山脈、北極海、グリーンランド海、アイスランド、大西洋中央海嶺にかけての広い地域でユーラシアプレートと接している。日本付近では日本海東縁変動帯で互いに衝突していると見られているが、シベリアから北極海にかけてはどのように接しているかがまだはっきりとわかっていない。なお、東日本がのるプレートについては諸説あり、北アメリカプレートとする説のほかに最近ではカムチャツカ半島以西は独立したオホーツクプレート(Okhotsk Plate)[1]、あるいは同じく独立したアリューシャンプレートとする見方がある。
アゾレス諸島付近から北回帰線付近まではアフリカプレートと接している。また、北回帰線付近からリーワード諸島付近までの地域では南アメリカプレートと、大アンティル諸島からユカタン半島付近までの地域はカリブプレートと接している。
メキシコ南岸の中央アメリカ海溝では北アメリカプレートの下にココスプレートが沈み込んでいる。同じく、カリフォルニア半島からアラスカ半島、アリューシャン列島、カムチャツカ半島、日本列島にかけての太平洋沿岸の全域で太平洋プレートが沈み込んでいる。バンクーバー島周辺ではファンデフカプレートが太平洋プレートと接しており、大部分が北アメリカプレートの下にあるが、一部は太平洋の海底に露出している。日本の相模トラフでは、フィリピン海プレートが沈み込んでいる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88
南アメリカプレート (South American Plate)
南アメリカ大陸とその東側にある大西洋の一部の地殻及びマントル上方のリソスフェアを形成する大陸プレートである。ゴンドワナ大陸が分裂してできた西ゴンドワナ大陸が、白亜紀ごろになると、大西洋中央海嶺を境に南アメリカ大陸とアフリカ大陸に分裂してできた。また、同時に太平洋プレートが南アメリカ大陸の西側に沈み込むことで、南北に長いアンデス山脈が形成された。
コロンビアからチリにかけての太平洋岸はペルー・チリ海溝となっている。ここでは、ナスカプレートが南アメリカプレートに向かって東方向に沈み込んでいる。また、チリ南部付近ではナスカプレートと海嶺を隔てて接している南極プレートが沈み込んでいる。
また、フエゴ島の西でスコシアプレートと接している。フエゴ島南岸からはトランスフォーム断層、西経50度付近から東では衝突型境界(非海嶺型)に変わり、サウスサンドウィッチ諸島付近ではサウスサンドウィッチ海溝に変わる。サウスサンドウィッチ諸島から東は南極プレートと接しており、ここは南アメリカ南極海嶺と呼ばれている。
南アメリカ南極海嶺は本初子午線(0度)付近でブーベ三重点に達する。これより北側はアフリカプレートと接しており、大西洋中央海嶺をなしている。大西洋中央海嶺は北緯15度付近で南アメリカ・北アメリカ・アフリカプレートの三重点となり、それより西側は北アメリカプレートと接する部分になる。
リーワード諸島付近まで来るとそれより南は海溝となる。この海溝はトバゴ島付近まで続き、そこから東向きのトランスフォーム断層に変わる。カラカスの北で境界線は向きを北西に変え、オランダ領アンティルの北方沖からパナマ・コロンビア国境付近までは海嶺や沈み込み帯となっている。リーワード諸島からパナマ・コロンビア国境地帯まではカリブプレートとの境界である。
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太平洋プレート (Pacific Plate)
太平洋の海底の地殻及びマントル上方のリソスフェア(岩石圏、岩圏とも呼ばれ、地球の地殻とマントル最上部の固い岩盤を併せた部分の総称である。プレートとほぼ同じ。ただし、もともとプレートテクトニクスにおいて、「プレート」は剛体(いかなる力が加わっても決して変形しない理想的な物体)として定義されているのに対して、「リソスフェア」という言葉は地球表面で弾性体として挙動する部分を指す。)を形成する海洋プレートである。プレート、あるいはリソスフェアは14枚に分かれて地球表面を覆っており、それぞれが互いに相対運動している。相対運動速度は場所によって異なり、年間数ミリメートルから10センチメートル程度である。 リソスフェアの下はアセノスフェアという、より高温かつ流動的な層を覆う板である。この流体層の存在によってプレート間の相対運動が可能になっている。アセノスフェアのさらに下にはメソスフェア(下部マントル)、さらには核(コア)がある。ちなみにかつてはリソスフェアの下をバリスフェア(重圏、barysphere)と呼んでいた。
海嶺周辺は温度が高いためリソスフェアは薄い。時間が経ち海嶺から遠ざかるにつれて、より深部の高温部分が冷えて弾性的性質を獲得する。こうして、リソスフェアは時間とともに厚くなる。
リソスフェアの厚さ
地球の深さ方向に対しての層の分け方のうち、地殻やマントルが元素組成など地球化学的性質に基づいた分け方であるのに対して、リソスフェアは地球物理学的な分け方である。
従って、その厚さは加えられた力に対する物理的な応答で定義され、測定方法によって様々な値を取る。短い時間スケールの力に対しては(例えば地震)かなり深部の高温部分でさえも弾性的に応答するので、リソスフェアは厚い(時に数100キロメートル)。逆に長い時間スケールでは(例えば大陸氷河の消長)、浅部の十分に弾性的な性質を持つ部分だけが長い期間その過重を支えることができる。従って、厚さは数10キロメートル程度になる。通常リソスフェアの厚さと言えば後者を指すが、いずれにしても一つに定まらない量である。また、リソスフェアの厚さは荷重の空間スケールにも大きく依存する。
南緯55度以南を東西に走る太平洋南極海嶺とチリ沖のイースター島からカリフォルニア湾まで連なる東太平洋海嶺を中央海嶺として1.9億年前、すなわち中生代ジュラ紀ころに誕生して拡大し続けたプレートである。現在北緯15度、東経155度にプレートの最古の部分が残されていると考えられている。
現在、太平洋プレートの北半球のハワイ諸島の位置にはホットスポットがあり、太古の海底火山の列がハワイ諸島の北西延長線上から、くの字に折れ曲がるようにしてカムチャツカ半島の付け根・アリューシャン列島の方向へ向かって並んでいる。このうちハワイに近い位置のものは「ハワイ海嶺」、概ね北緯33度くらいで北北東へ向かう海山の列を「天皇海山列」と呼んでいる。これはプレートの移動の歴史を示すもので、最初プレートが北に向かって移動していたものが西に移動するようになったことを示している。ホットスポットによって形成された海山の列の方向が変わったのは、インドプレートがユーラシアプレートにぶつかった4000万年前のこととする説が有力である。
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ココスプレート (Cocos Plate)
太平洋東部の低緯度地域北半球部分(中米の沖)の海底の地殻及びマントル上方のリソスフェアを形成する海洋プレートである。北アメリカプレートに沈み込んでいたファラロンプレートは、次第に海嶺ごと北アメリカプレートに沈み込み、見かけ上複数のプレートに分裂していった。3,000万年前にはゴルダプレートとココスプレートに分裂し、ココスプレートもココス海嶺(ガラパゴスホットスポット)の活動が始まったことで南側がナスカプレートとして分離した。現在はゴルダプレートの大部分は沈み込んでしまいファンデフカプレートと呼ばれている。また、ココスプレートの北部がリベラプレートとして分離した。
ココスプレートも多くが沈み込んでおり、数千万年後には完全に北アメリカプレートの下に沈み込むと考えられている。
中米のメキシコ南部からコスタリカにかけての太平洋岸では、ココスプレートが太平洋プレートに沈み込んでいて中央アメリカ海溝を形成している。
パナマ・コスタリカ国境地帯の沖からガラパゴス諸島まで、またガラパゴス諸島から西経105°付近まで真西に、それぞれ直線的に海嶺やトランスフォーム断層が走っている。これらをまとめてココス海嶺と呼んでおり、ココスプレートとナスカプレートがお互いに南北方向に少しずつ広がっている。
西経105度、北緯2度付近から北方向にも海嶺が走っている。これは東太平洋海嶺で、太平洋プレートとの境界である。
カリフォルニア湾の湾口付近にはリベラプレートという小さなプレートがあり、これはごく狭い部分でココスプレートと衝突している。また、西経105度、北緯2度付近にはガラパゴスプレートという非常に小さなプレートがあり、これもココスプレートと接している。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%82%B3%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88
ナスカプレート (Nazca Plate)
太平洋東部の南半球部分(南米大陸の西方沖)の海底の地殻及びマントル上方のリソスフェアを形成する海洋プレートである。北アメリカプレートや南アメリカプレートに沈み込んでいたファラロンプレートは、次第に海嶺ごと沈み込んで複数のプレートに分裂していった。3,000万年前にゴルダプレートとココスプレートに分裂し、これに前後してココスプレートもココス海嶺(ガラパゴスホットスポット)の活動が始まったことで南側がナスカプレートとして分離した。
また、ゴンドワナ大陸が分裂し大陸の離散が加速したころには、ナスカプレートのもととなるファラロンプレートと南極プレートは、すでに海嶺によって分け隔てられていたと考えられている。
南アメリカ大陸の西海岸沿いには非常に長いペルー・チリ海溝がある。このうち、パナマ・コロンビア国境付近からチリ南部のタイタオ半島付近まで、海溝全長の8割以上を占めるのが、ナスカプレートと南アメリカプレートとの境界である。ナスカプレートが南アメリカプレートに沈み込んでおり、アンデス山脈や周辺の高地の形成に関わっている。
タイタオ半島沖からイースター島付近までは、太平洋の海底を南北に拡大させているチリ海膨(勾配が緩やかな海嶺)によって、南極プレートと接している。イースター島付近からガラパゴス諸島付近までは、太平洋の海底を東西に拡大させている東太平洋海嶺によって太平洋プレートと接している。
また、ガラパゴス諸島付近からコスタリカ・パナマ国境付近までは、太平洋の海底を南北に拡大させているココス海嶺によって、ココスプレートと隔てられている。
なお、イースター島付近にはファン・フェルナンデスプレート、イースター島の北北西沖800km付近にはイースタープレートというそれぞれ小さなプレートがあり、これもナスカプレートと接している。この2つのプレートは、海嶺に囲まれていて複雑な動きをしている。
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カリブプレート (Caribbean Plate)
カリブ海および中央アメリカの一部、南アメリカ大陸北部の一部の地殻及びマントル上方のリソスフェアを形成する大陸プレートである。北アメリカ大陸と南アメリカ大陸は分離したまま西に移動し白亜紀の後半に最も離れる。その後、両大陸の間の地殻がカリブプレートとして分離し、両大陸は逆に近づいていった。最終的には両大陸がパナマ地峡を介して地続きになるに至った。
両大陸が近づく過程でカリブプレートは全方向から圧縮されたため、次第に小さくなっていった。プレート境界部分では造山運動が盛んで、多くの島や半島などを生み出した。
エルサルバドルからコスタリカにかけての太平洋岸は中央アメリカ海溝の一部で、カリブプレートの下にココスプレートが沈み込んでいる。パナマ南岸はナスカプレートとの境界、パナマ・コロンビア国境地帯は南アメリカプレートとの境界で、衝突型境界やトランスフォーム断層などと推定されているが不明瞭である。
コロンビア北岸では、カリブプレートが南アメリカプレートの下に沈み込む海溝となっている。アルバ近海 - カラカス近海 - トリニダード・トバゴ東方沖までは拡大型境界やトランスフォーム断層で、ここでも南アメリカプレートと接している。小アンティル諸島の東岸は海溝となっており、南アメリカプレートがカリブプレートの下に沈み込んでいる。この海溝では、プレートの沈み込みの影響で小アンティル諸島の諸火山が活動している。
アンティグア・バーブーダ付近からは北アメリカプレートとの境界となる。この付近では、大アンティル諸島北岸のプエルトリコ海溝と南岸の海溝のどちらがプレートの境界であるか議論があり、定まっていない。キューバ南岸より西側はケイマン海溝(トランスフォーム断層)が境界をなしていることがわかっている。ケイマン海溝はグアテマラに達すると拡大型境界に変わり、中央アメリカ海溝まで続いている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%96%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88
アフリカプレート (African Plate)
アフリカ大陸とその周辺海域の地殻及びマントル上方のリソスフェアを形成する大陸プレートである。ゴンドワナ大陸が分裂してできた西ゴンドワナ大陸が、白亜紀ごろにアフリカ大陸と南アメリカ大陸と分裂した。アフリカ大陸付近はこのころからホットプルームの活動が盛んになったと見られ、アラビア半島を載せたアラビアプレートが分裂、マダガスカル島がアフリカ大陸から分離、大地溝帯が活動してアフリカプレートの本体(西側)とソマリアプレート(東側)が次第に分離するなど、盛んに陸地の拡大が起き、現在も続いている。これを象徴するように、アフリカプレート内にはレユニオン島付近、カナリア諸島付近、カーボベルデ付近、カメルーン~サントメ・プリンシペなど多数のホットスポットが点在する。
アゾレス諸島からジブラルタル海峡、サルデーニャ島南方沖までは、アゾレス・ジブラルタル断層帯と呼ばれる長いトランスフォーム断層である。サルデーニャ島南方沖から、シチリア島、ケルキラ島沖、ペロポネソス半島沖、クレタ島南方沖、キプロス、シリア・トルコ国境地帯に至るまでの約2,000kmは、ほとんどが海溝などの沈み込み帯であるが、一部がトランスフォーム断層や衝突型境界になるなど少し複雑になっている。ここまではユーラシアプレートと接している。このあたりでは、プレートの衝突がアトラス山脈の形成やイタリア・ギリシャなどの火山群の活動と深く関わっている。
シリア西部からは、ヨルダン峡谷、アカバ湾、紅海、アファール盆地、アデン湾、ソコトラ島まで続く地溝・海嶺帯になる。このあたりではアラビアプレートと接している。
プレートの縁はソコトラ島で南に向きを変え、インド洋を貫く中央海嶺につながる。北から順にカールスバーグ海嶺、中央インド洋海嶺、南西インド洋海嶺で、それぞれインドプレート、オーストラリアプレート、南極プレートとの境界である。南西インド洋海嶺はアフリカ大陸の南方をぐるっと取り囲んでおり、本初子午線(経度0度)付近でアフリカ・南アメリカ・南極の各プレートの三重点となる。ここから北向きに大西洋中央海嶺があり、これがアゾレス諸島まで曲がりくねって続いている。大西洋中央海嶺は南アメリカプレートとの境界である。
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南極プレート (Antarctic Plate)
地球に存在する大きなプレートである。ほとんどの部分は花崗岩を含んだ「軽い」大陸地殻で構成されているが、玄武岩を含む重い海洋地殻の部分も少し存在する可能性がある。南極プレートは南極大陸全体とそれを取り囲む南極海の部分に広がっており、部分的には太平洋とインド洋の南部にまで広がっている。南極プレートは地球の南側の面の大部分を広く覆っている。南極プレートはその北方で(時計回りに)南アメリカプレート、アフリカプレート、オーストラリアプレート、太平洋プレート、ナスカプレートと隣接している。巨大なプレートと隣接する境界部分には小さいプレートがいくつか存在する可能性もある。しかしまだそのようなプレートが存在するかどうかは確実には解明されていない。南アメリカプレートと南極プレートの間にはスコシアプレートという小さなプレートの存在が想定されている。南極プレートの面積は約1690万平方kmであり、地球上のプレートのうち5番目に大きい。
南極プレートはプレートテクトニクスの運動によって大西洋の方向に動いている。南極プレートの絶対運動の速度は毎年約1cmから2cm程度であり、プレートの絶対運動としては小さい。地球の他の全てのプレートも同じように絶え間なく運動しているが、南極プレートと他のプレートとの間の相対速度も一般的に小さい。例えば太平洋プレートとの間の相対運動は平均して1年あたり1cm程度である。
南極プレートは海の底にある境界だけで他の多くの巨大な大陸プレートと隣接しているプレートである。このために海洋底拡大の現象は広範囲で起こっており、特に太平洋プレートとオーストラリアプレートとの境界部分で最も速い。
南極プレートの大きな特徴は、周囲が全て海嶺とトランスフォーム断層のみで囲まれており、沈み込み帯が存在しないことである。
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アラビアプレート (Arabian Plate)
アラビア半島とその周辺部の地殻及びマントル上方のリソスフェアを形成する大陸プレートである。白亜紀以降、アフリカの大地溝帯の活動によってアフリカプレートから分裂してできた。
北東に行くほど標高が低くなっており、プレートのほぼ全体が北東方向に傾いたアラビア卓状地を形作っている。
シリア・トルコ国境付近から、イランの西端部、ペルシャ湾のイラン沿岸部、パキスタン沿岸のアラビア海までは衝突型境界である。相対的にアラビアプレートがユーラシアプレートに沈み込むような形で衝突しており、トルコのアナトリア高原やイランのザグロス山脈など、大規模な山脈の隆起を促している。
パキスタンのカラチ付近からソマリア沖のソコトラ島にかけての約1,000kmでインドプレート、またソコトラ島からジブチの東方沖までの約1,500kmでアフリカプレートの支プレートであるソマリアプレートと接し、衝突型境界やトランスフォーム断層となっている。
ジブチからシナイ半島南端までは海嶺となっている。また、エリトリア・ジブチ・エチオピアにまたがるアファール盆地では陸上でありながら海嶺のようにプレートが拡大し続けている。また、ソコトラ島付近でもプレートが両側に拡大している。アファール盆地はアフリカ・ソマリア・アラビアプレートの三重点となっており、それより北ではアフリカプレートと接している。
シナイ半島南端からアカバ湾、死海、ヨルダン渓谷、ガリラヤ湖、レバノン、シリア西部にかけてはアフリカプレートと接しており、大きな地溝帯を形成している。
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インド・オーストラリアプレート (Indian-Australian Plate)
1つのプレートであるが、インドプレート (Indian Plate) とオーストラリアプレート (Australian Plate) の2つに分けて考えることもある。、インド亜大陸、オーストラリア大陸、インド洋東部、太平洋南西部および周辺諸島の地殻及びマントル上方のリソスフェアを形成する海洋プレートである。「インド=オーストラリアプレート」とも表記する。
インド・オーストラリアプレートはしばしば、北西側のインドプレートと南東側のオーストラリアプレートに分けて考えられる。ただ、分けて考えたり一緒にして考えられたりとまちまちである。これは、プレートテクトニクス理論が提唱されてから長い間、インドプレートとオーストラリアプレートの境界が諸説(境界が無い=2つのプレートは同一という説も含む)あり、はっきりしなかったことによる。現在は、2つのプレートは結合して1つのプレートになっていると考えられているが、2つに分けて考えることもある。
現在広く支持されている説では、白亜紀初期に東ゴンドワナ大陸がインド大陸+マダガスカル島と南極大陸+オーストラリア大陸の2つに分裂したときからインド大陸とオーストラリア大陸の間に海嶺ができ、両大陸は北上すると同時に東西に離れていったと考えられている。この時点でプレートはインドプレートとオーストラリアプレートの2つに分かれていた。白亜紀後期の9,000万年前には、マダガスカル島とインド大陸の間にも海嶺ができて分離し始めた。これ以降インド大陸が乗ったインドプレートの移動速度は20cm/年と非常に速くなり、およそ4,000万年で2,000km北上した。
これが変わったのが5,500~5,000万年前である。このころ、インドプレートのインド大陸部分がユーラシアプレートの大陸部分に衝突して動きが遅くなった。海底の堆積物や山塊などが2つのプレートの間で強く圧縮されて隆起しヒマラヤ山脈やチベット高原などができ始めたためである。マダガスカルとインドの間にある海嶺の拡大は、ヒマラヤでのプレート衝突によって妨げられて、プレートの移動が極端に遅くなった。これとほとんど同じ時期に、インドとオーストラリアの間にある海嶺が活動を終え、両プレートの境界部分は固定されて「インド・オーストラリアプレート」となり、ほとんど同じ方向に動くようになった。
インド大陸とオーストラリア大陸はもともと東ゴンドワナ大陸のときに密着して同じ位置にあったが、インドのほうが先に北上し、インドがユーラシアに衝突した時点の位置でオーストラリアとの位置関係が固定され、それ以来同時にゆっくり北上して現在に至っているのである。
インドとオーストラリアの間にある海嶺では、海嶺特有の地形が5,000万年という長い間に風化して分かりにくくなってしまい、境界を特定するのが難しくなったとされている。また、インド洋の諸島や海山列などをもとに海洋底拡大を説明付ける説では、海洋底拡大の速度が変わったり方向が変わったりと複雑な歴史があると考えられていることも、境界特定を難しくしている。
これまで境界ではないかとされてきたのは、東経90度海嶺、中央インド洋海盆の中央部ライン、中央インド洋海盆を横切るラインなどであった。現在の定説は、東経90度海嶺の北半分と中央インド洋海盆を横切る南緯5度付近のラインである。
ただ、1990年代に入ってGPSを応用したプレートの移動測定が可能となったことで、インドプレートとされてきた地域とオーストラリアプレートとされてきた地域は移動方向・速度がほとんど同じことがわかり、同一のプレートとみなされるようになった。
アラビア半島沖のソコトラ島東方沖からアムステルダム島付近まで、南東方向に曲がりくねりながら、長さ数千kmのインド洋中央海嶺がある。ここはアフリカプレートと大地溝帯を隔てて離れつつあるソマリアプレートとの境界である。アムステルダム島からマッコーリー島付近まで、東方向に曲がりくねりながら、これまた長さ数千kmのオーストラリア南極海嶺がある。ここは南極プレートとの境界である。
マッコーリー島付近からニュージーランドのクック海峡付近までは、弓のように曲がった境界線が作られており、トランスフォーム断層や海溝、衝突型境界が交互に並んでいる。クック海峡を過ぎると、北島の東方沖からサモア東方沖まで連なるヒクランギ海溝・ケルマデック海溝・トンガ海溝になる。これらの海溝では太平洋プレートがインド・オーストラリアプレートの下に沈みこんでいる。サモア東方沖からは、サモアやフィジーを北東から南西に貫く境界が走っている。ここは火山帯からなる拡大型境界やトランスフォーム断層と見られているが、GPSなどの観測によって移動方向が若干異なる「マイクロプレート」が複数存在することが分かっており、複雑になっている。
また、ニューカレドニアの東方沖からは、バヌアツの西方沖~ソロモン諸島の南方沖~ニューブリテン島の南方沖まで連なる曲がりくねった海溝となる。南から順に南ニューヘブリデス海溝、トレス海溝、南ソロモン海溝、ニューブリテン海溝と呼ばれている。この付近からティモール島までの地域は、海溝や山脈、群島が何重にも並ぶ構造で、プレートの境界が長い間はっきりしてこなかった。GPSによる測定を応用していくつかの説が出されているが、まだ確定していないため、便宜的には、ニューギニア島の北岸~ニューギニア島西部を縦断するライン~タニンバル諸島・ティモール島南岸までを境界として扱うことが多い。マッコーリー島付近からここまでは、太平洋プレートとの長い境界である。
スンバワ島付近からは、ジャワ島やスマトラ島、アンダマン諸島やニコバル諸島の南岸・西岸を通る弓のように曲がった海溝になる。スンダ海峡より東をジャワ海溝、西をスンダ海溝と呼んでおり、インド・オーストラリアプレートがユーラシアプレートの下に沈み込んでいる。アンダマン諸島より北では、プレート境界がミャンマー中央部を縦断し、ミャンマー北端から西に向きを変えてヒマラヤ山脈の地下の衝突型境界につながる。この境界線はカラコルム山脈を経てパキスタンを縦断し、カラチの沖からソコトラ島までつながる。カラチ付近まではユーラシアプレートとの境界、それより南はアラビアプレートとの境界である。
ニュージーランドからパキスタンにかけてのプレート境界部は、海溝型地震や断層型地震が頻発する地震の多発地帯である。近年もスマトラ島沖地震 (2004年・2005年・2007年)やパキスタン地震 (2005年)、ソロモン諸島沖地震 (2007年)などが発生しており、津波がよく発生することで知られている。
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フィリピン海プレート (Philippine Sea Plate)
東は小笠原海溝やマリアナ海溝、北から西にかけては南海トラフ・琉球海溝・ルソン海溝・フィリピン海溝などに囲まれた海洋プレートである。太平洋の北西部をしめるフィリピン海が主な領域。伊豆諸島・小笠原諸島・マリアナ諸島・ヤップ島・パラオと連なる島孤のほか、大東諸島、ルソン島の一部がこのプレート上にある。また、本州の中でも唯一伊豆半島だけがフィリピン海プレート上にある。
約5200万年前にフィリピン海プレートと太平洋プレートの収束型境界である伊豆・小笠原・マリアナ海溝が形成されたことによって誕生したプレート。現存する地表の大部分は誕生以後に形成されたマントルプルーム・背弧海盆運動による海洋性地殻で、島弧の他は白亜紀に形成された花東海盆や大東海嶺群がこの例外となっている。 約5000万年前にマントルプルーム運動によって西フィリピン海盆が形成を開始し、プレートが拡大し始めた。約4900万年前にはボニライトマグマの噴出を最初として太平洋プレートの沈み込みに伴う火成活動が開始した。約4500万年前には太平洋スラブが地下深部に到達し、島弧として九州・パラオ海嶺(Kyushu-Palau Ridge)が形成、西フィリピン海盆が引き続き活動し拡大した。約3000万年前に新たに火山フロント付近でリフトが形成され始め、島弧が九州・パラオ海嶺と伊豆・小笠原・マリアナ島弧(Izu-Bonin-Mariana (IBM) arc)に分離、及び四国-パレスベラ海盆の形成が開始した。この背弧リフトの拡大は約1500万年前に停止した[3]。約2000万年前に太平洋プレートと接していたプレート北端が古琉球弧の海溝に沈み込み、ユーラシアプレートとの境界に変わった(南海トラフ・琉球海溝)。また、同時期にマニラ海溝の沈み込みが開始した。約600万年前から伊豆・小笠原・マリアナ島弧では再びリフトの活動が再開し、マリアナトラフが形成され、西マリアナ海嶺と東マリアナ海嶺が分裂した。約500万年前にパラワン島弧のマニラ海溝への衝突やモルッカ海衝突帯の形成、フィリピン海溝の沈み込みが開始した。また、マニラ海溝では台湾地塊が衝突し、急激な隆起が開始した[4]。プレート北端では1200万年前より伊豆・小笠原・マリアナ島弧の北アメリカプレートへの衝突が開始しており、約500万年前に丹沢地塊、約100万年前に伊豆地塊が衝突している[5]。約200万年前より沖縄トラフの拡大が開始した[6]。
これらの活動によってフィリピン海プレートは誕生時の5200万年前と比較すると、面積が拡大しつつ、90°時計回りに回転しながら北に移動した[4]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%83%94%E3%83%B3%E6%B5%B7%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88
スコシアプレート (Scotia Plate)
簡略図では南アメリカプレートの一部とすることもある。スコシア海および周辺諸島の海底地殻及びマントル上方のリソスフェアを形成する海洋プレートである。スコチアプレートとも表記する[1]。
南アメリカ大陸が大西洋中央海嶺を境に西に移動していくのと同時に、サウスサンドウィッチ海溝への南アメリカプレートの沈み込みが続いた。これにより、背弧海盆が拡大してスコシア海が東に広がり、ペルー・チリ海溝とサウスサンドウィッチ海溝との距離がどんどんと広がっていった。
やがてひずみが生じたことでペルー・チリ海溝はスコシア海西縁まで延長して、プレートが分裂し、スコシアプレートができたと考えられている。
ペルー・チリ海溝の南端部分、ムニョス・ガメロ半島以南がスコシアプレートと南極プレートの境界である。境界線は南極半島の北方沖までつながっているが、途中から海溝が浅くなり、単なる衝突型境界に変わる。南極半島沖からサウスサンドウィッチ諸島南岸までは南スコシア海嶺で、ここも南極プレートとの境界である。
サウスサンドウィッチ諸島の東方沖では南アメリカプレートがスコシアプレートの下に沈み込んでおり、サウスサンドウィッチ海溝を形成している。また、この沈み込みによってサウスサンドウィッチ諸島の火山ができ、さらに島弧の西側にある東スコシア海嶺が拡大して背弧海盆が形成されている。
サウスサンドウィッチ諸島の北岸からは衝突型境界が西に伸びており、途中からトランスフォーム断層に変わって、フエゴ島東南部やマゼラン海峡西部などを横切り、ペルー・チリ海溝に達する。ここは南アメリカプレートとの境界である。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%82%A2%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88
ファンデフカプレート (Juan de Fuca Plate)
簡略図では北アメリカプレートの一部とすることもある。北アメリカ大陸、アメリカ合衆国西方沖にある小さな海洋プレートである。このプレートの名前はファンデフカ海峡に基づいている。1960年代に詳細に調査され、プレートテクトニクス理論の成立に寄与した。
1961年にアメリカ西方沖の海底が詳細に調査され、海底岩石に残された古磁気記録が一定間隔で正負逆になっていることが明らかにされた。また、その正負の縞模様が所々でずれていることも分かり、当時の研究者に注目された。
プレートテクトニクス理論の発展とともに、こうした縞模様やそのずれが理解されるようになった。同時に、ほとんど現存しない旧ファラロンプレート(英語版)の断片として貴重な研究対象となっている。とくにずれについては、北太平洋・北アメリカ地域のプレート運動を知る上で重要視されている。
およそ5000万年前:古太平洋(パンサラッサ)東部に広く分布していたファラロンプレート(英語版)から、バンクーバープレートが分離する。バンクーバープレートは北アメリカプレートに沈み込みを続ける[1]。
およそ3000万年前:太平洋プレートが北アメリカプレートに到達し、バンクーバープレートはファラロンプレートと地理的にも離れる。バンクーバープレートがファンデフカプレートと名前を変える
。 およそ1000万年前~現在:太平洋プレートとファンデフカプレートの間に存在する発散境界(海嶺)の向きが、およそ20°傾く。これにより、「見かけの断層」が生まれ、古磁気記録が複雑な形になる。
およそ1000万年後:ファンデフカプレートがすべて北アメリカプレートの下に完全に沈み込み、ファンデフカプレートは消滅する[1]。
ファンデフカプレートはいくつかのプレートに囲まれている。東部はカスケーディア沈み込み帯(英語版)から北アメリカプレートに沈み込み、北部から南部にかけてはファンデフカ海嶺(英語版)などの拡大境界、及びメンドシノ断裂帯(英語版)などのトランスフォーム断層によって太平洋プレートと接する。北部にはファンデフカプレート同様に北アメリカプレートへ沈みこむエクスプローラプレート(英語版)が位置し、バンクーバーのヌートカ島(英語版)近くに断層が生じている。南部にはファンデフカプレートと太平洋プレートに囲まれた小さなゴルダプレート(英語版)があり、その位置にも断層が存在する。この4つのプレートに囲まれたファンデフカプレートの面積はおよそ250,000 km2と測定されている[2]。
プレートによって生じたカスケード山脈は環太平洋火山帯の一部を形成しており、1900年代にもラッセン山とセント・ヘレンズ山で噴火を起こしている。またカスケーディア沈み込み帯では津波堆積物や地殻変動の解析から概ね500年程度の間隔で巨大地震を発生させていると考えられている。アメリカに西欧人が渡ってから巨大地震の記録は存在しないが、太平洋を隔てた日本側に「1700年(元禄12年)の原因不明の津波」に関する記録があり、調査の結果、1700年1月26日にモーメントマグニチュード8.7から9.2と推定される地震が発生し、1100kmの範囲に渡る断層破壊が生じ、平均の滑り量は20メートルに達したと推測されている[3]。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%95%E3%82%AB%E3%83%97%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88
プレートの位置図