Mesoamerica

マヤより北

チョルーラ
先コロンブス期の新大陸において、使われた建築素材の量という点で最大の建築物。おそらく後古典期の初期に最後の第4段階の工事が行われ、底辺が400メートルまで拡大された。しかしこの段階の工事が完成したかどうか明らかでない
テオティワカン
形成期後期にすでに集落があった。西暦紀元前後から7世紀なかばまで都市として使用された。都市の面積は約20平方キロメートルで、最盛期には、10万から20万人が生活を営み下水網も完備されていた。しかしながら人口の集中に伴い7世紀にはいると急激に衰退し、やがて滅びを迎えた
テノチティトラン
かつてのアステカの首都[1]。最盛期には人口は約30万人であったと伝えられる
オルメカ
オルメカ(Olmeca)は、紀元前1200年頃から紀元前後にかけ、先古典期のメソアメリカで栄えた文化・文明である[1]。アメリカ大陸で最も初期に生まれた文明であり、その後のメソアメリカ文明の母体となった
サポテカ
メキシコ南部、オアハカ州のモンテ・アルバンを中心として栄えていたとされる。先古典期前期末のサン・ホセ・モゴテのティエラ・ラルガス相(Tierra Largas;1400B.C.~1150B.C.)の時期と考えられる。
トルテカ
紀元前2世紀から6世紀まで繁栄した、テオティワカン文明の中心となった巨大な宗教都市遺跡[1][2]。当時のアメリカ大陸では最大規模を誇り、メソアメリカの中心的都市として機能していた。)崩壊後、チチメカ侵入前までに存在したと考えられてきた伝承上の帝国。



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