中山道
転載元 https://www.dynax.co.jp/sinsen/shinano/kaidoo.html
木曽路
中山道は、江戸時代の五街道の一つ.江戸板橋宿を起点とし、近江(滋賀県)守山宿まで六七宿.信濃路は碓氷峠を越えて、 軽井沢宿に入り、木曽の馬籠宿まで二六宿であった.中山道は、東海道と共に、江戸と京都を結ぶ道であったが、 東海道の方が、交通量も多く宿場の規模も大きく、東海道が126里余五三宿であったのに対し、 中山道は、139里で距離も長く、その上、碓氷峠をはじめ和田峠・鳥居峠など峠が多く、人馬の往来に困難であったが、 人の往来が少なく、大河もなく、その渡りや渋滞も少なく、女道とも呼ばれ、盛んに利用された.江戸時代末期、皇女和宮 降嫁に使われた道であった.中山道木曽路は贄川宿・馬籠宿間十一宿。島崎藤村の「夜明け前」の書き出し "木曽路はすべて山の中である。 あるところは岨づたいに行く崖の道であり、 あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、 あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。 一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。"とあるように木曽川伝いの山道であった。 ほぼ今の国道19号線である.JR中央西線が併走する.最寄りの自動車道のインターチェンジは、長野道塩尻インター又は、中央道中津川インター、飯田インターを利用する。
諏訪路
和田峠は中山道随一の難所。江戸方面からこの峠を下ると下諏訪宿である。信濃一ノ宮諏訪大社 春宮が、旅人を迎える.下諏訪宿で甲州街道と合流する.下諏訪から塩尻までは今の国道20号線.JR中央線、中央自動車道が 岡谷JCTを分岐して長野自動車道が併走する。
佐久路
今の碓氷峠を越える信濃路への道は、国道18号線であるが、追分宿から北国街道を往き、 しなの鉄道、長野行き北陸新幹線、上信越自動車道が、ぼぼ併走する.小諸・岩村田間(小諸道)が国道141号線、 岩村田・上諏訪間が国道142号線である,追分・岩村田間は、旧道を往く。