カクチケル年代記』は、グアテマラ高地に住むカクチケル・マヤ族の支配層であったソロラのシャヒル(Xajil)支族の歴史を記した書物である。16世紀から17世紀はじめにかけて書かれ、植民地時代のグアテマラでマヤ人が自らの言語で記した民族史料。
人類の創造神話にはじまり、後半は1493年5月20日のイシムチェの反乱から1600年までの年代記が記されている。作者は、1582年までをシャヒル支族に属するエルナンデス・アラーナが書き、アラーナの没後はシャヒルの首長だったフランシスコ・ディアスが書きついだとされている。1年が400日からなる独自の暦を使用しているが、1557年以降は西暦を併用する。
ポポル・ブフは天地万物の創造神話に始まり,キチェー一族の4始祖創造から,7世紀にさかのぼると推定される〈七つの洞穴〉〈トゥラン〉という伝説上の地からの子孫たちの移動や征服活動などが,人身供犠など宗教儀礼や信仰と結びついた文化英雄の神話的伝承と絡みあって展開する。ユカタン半島の《チラム・バラムの書》と並び古典期マヤ以来の宇宙観を知りうる資料であり,《カクチケル年代記》とともに後古典期にグアテマラ高地に移住してきたマヤ諸族の民族史や社会構成を解明する重要な原地語史料であり,邦訳もある。
https://kotobank.jp/word/%E3%80%8A%E3%82%AB%E3%82%AF%E3%83%81%E3%82%B1%E3%83%AB%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E8%A8%98%E3%80%8B-1288293
概要
人類は黒曜石を供養する目的で作られた[4]。トウモロコシの粉にバクと蛇の血をまぜることによって人類が作られた。
祖先がトゥリャン(Tullan)からやってきたとする点は『ポポル・ヴフ』と同様だが、トゥリャンは4つあり、シャヒル支族の祖先であるクァクァウィツ(Q?aq?awitz)は西のトゥリャンから来たとする[5]。人々は7つの部族と13の隊に分かれて移動したが、カクチケルはその最後だった[6]。
カクチケルはチアワルの町に住んでキチェの第7代王であるキクァブ(K?iqab?)に協力して多くの町を滅ぼしたが、その後キクァブに対して蜂起を起こし、チアワルを放棄してイシムチェに住んだ[7]。
1493年5月20日、トゥクチェ族[8]のカイ・フナフプが反乱を起こし、その結果イシムチェから排除された[9]。
1521年、トゥナティウ(Tunatiw、ナワトル語で太陽を意味するトナティウに由来し、ペドロ・デ・アルバラードのこと)に率いられたスペイン人が現れてキチェを滅ぼした[10]。カクチケルは当初トゥナティウに協力したが、トゥナティウが莫大な貢納を要求したために王たちはイシムチェを去った。トゥナティウは町を焼き払い、カクチケルを虐殺した。やむをえず王たちは貢納を支払った。トゥナティウはその後も横暴を働いたが、1541年に没した。翌1542年からドミニコ会によるキリスト教の布教がはじまった。しかし伝染病が流行して多くが死んだ[11]。
https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E3%82%AB%E3%82%AF%E3%83%81%E3%82%B1%E3%83%AB%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E8%A8%98_%E3%82%AB%E3%82%AF%E3%83%81%E3%82%B1%E3%83%AB%E5%B9%B4%E4%BB%A3%E8%A8%98%E3%81%AE%E6%A6%82%E8%A6%81
トラスカラ王国
花戦争
カクチケル年代記
#2 クァクァウィツ・サクテカウ:最初の我らの父,我らの祖父。海の向こう、パ・トゥラン(山の名前)から来た。我らシャヒルを生んだ
#3 クェクァクッチ(一族の名前):ツァナットとククチョムから生まれた
バカホル:カトゥンとチュティアフから生まれた
シバクィハイ:ダキ・アハウとチャホム・アハウから生まれた
カウェック家:トトマイとシュルカフから生まれた
ケハイ家:ロッチとシェットから生まれた
アフ・パックとテロム:コシャヒルとコバクィルから生まれた
イクォマック家:
トゥランから来た4種族-各家(部族アマック)がここに始まった
#4 4 つのトゥラン:太陽の出る東・シバルバイ(北または地下)・太陽の沈む西(我らは西、海のむこう側から来た)・カボウィル(南)・
#5 緑色のシバルバイ(悪魔)と黄金色のシバルバイによって黒曜石が生まれた
ツァコルとビトルによって人間が創られた。黒曜石を育むために(黒曜石にローソクを捧げる)ために。
ツァコルとビトル、アロムとカホロム 野豚と蛇の血がトウモロコシを捏ねて人間を創った。
同じように黒曜石の創造があった
黒曜石:カクチケル語で chay
シバルバー:シバルバー (Xibalba) とは、おおまかには「恐怖の場所」と訳せる[1]、キチェ族のマヤ神話における冥界の名であり、その地は死の神々とその従者たちによって治められている。16世紀のベラパスでは、シバルバーの入り口はコバン近くの洞窟であると伝統的に思われていた。21世紀初頭現在のコバン近隣で暮らす一部のキチェ族によれば、その地は今もって死と関連づけられているという。また、ベリーズ近くの洞窟系もシバルバーの入り口と言われている[2]。マヤの一部では、天の川がシバルバーへの道と見なされていた[3]。
住人
『ポポル・ヴフ』では、シバルバーは地底の宮廷として描かれており、死と、「シバルバーの王」と呼ばれる12の神々ないし強力な支配者たちと関連づけられている。シバルバーを治める死の神々の筆頭はフン・カメーとヴクブ・カメーであり、フン・カメーのほうが年長である[4][5]。
残る10人の王はしばしば悪鬼とされ、病・飢餓・恐怖・貧困・苦痛、そして最後に死といった、さまざまな形の人間の苦しみに関する権能や領分を与えられている[1]。これらの王たちは2人1組で活動する。
シキリパット(Xiquiripat、飛ぶかさぶた)とクチュマキック(Cuchumaquic、集められた血)は人々の血液を病気にする。
アハルプー(Ahalpuh、膿の悪鬼)とアハルガナー(Ahalgana、黄疸の悪鬼)は人々の体をむくませる。
チャミアバック(Chamiabac、骨の杖)とチャミアホロム(Chamiaholom、髑髏の杖)は死体を骸骨に変える。
アハルメス(Ahalmez、掃く悪鬼)とアハルトコブ(Ahaltocob、刺す悪鬼)は人家の掃除されていない箇所に潜み、人を刺し殺す。
シック(Xic、翼)とパタン(Patan、荷い紐)は、道を歩いている人を吐血させて死なせる[4][5]。
残るシバルバーの住人は、これらの王のいずれかの支配下にあり、上記の使命を果たすため地表についていくと考えられる。
構造
シバルバーは広大な地であり、個別の建物や場所が数多く『ポポル・ヴフ』に描かれ、言及されている。その中の筆頭が王たちの集会所で、5 - 6棟の建物がシバルバー第1の試練や球技に用いられている[6]。また、王たちの屋敷や庭園など、その他の建物についても言及されており、シバルバーが控えめに見ても大都市であることを示している。
シバルバーには、誰であれ来訪者に対する試験や試練、罠がはびこっているようである。シバルバーに向かう道ですら障害に満ちており、サソリだらけの川、血の川、そして膿の川にさえぎられている[7]。川の向こうには辻があり、旅人は4つの道から行き先を選ばねばならないが、この道は口を利いて人を困らせ惑わせようとする。こうした障害を乗り越えてたどり着くシバルバーの集会場は、来客が着座した王たちに謁見する場に見えるだろう。実は王たちの近くに座っているのは挨拶に来た人を惑わしからかうため精巧に作られた人形であり、だまされた人は次に椅子に腰掛けるよう言われるが、その椅子の正体は焼けた石である。シバルバーの王たちは彼らの流儀で人々をからかって楽しんだ後、来訪者を命がけのシバルバー式試練に送り込むのである。
都には、来訪者への試練でいっぱいの危険な館が少なくとも6つ設けられている。第1の「暗闇の館」は中が完全に真っ暗である。第2の「震えの館」ないし「寒冷の館」は、骨まで凍てつく冷気と雹で満ちている。第3の「ジャガーの館」は、飢えたジャガーでいっぱいである。第4の「コウモリの館」には金切り声を上げる危険なコウモリが群れを成し、第5の「剣の館」ではひとりでに動く刀剣が待ち受ける。『ポポル・ヴフ』のまた別の箇所で、第6の試練が火と熱に満ちた「炎熱の館」であることが明かされる。これらの試練の目的は、放り込まれた者が試験の裏をかくことができなかった場合、彼らを殺害するか辱めることにある[8]。
没落
シバルバーは、双子の英雄神フンアフプーとイシュバランケーによって没落の時を迎えた。
『ポポル・ヴフ』によれば、かつてシバルバーの住人は地上人からの崇拝を享受し、死の神々へと捧げられた人間の生け贄を受け取っていた。『ポポル・ヴフ』で語られた時代のうちに、住人たちは偽の生け贄を受け取るように欺かれ、ついには地上からはもっとささやかな捧げ物を受け取るように貶められた。人類学者デニス・テドロックは、こうした歴史の説明は初期のマヤの信仰形態に対するキチェ流の悪態なのかもしれない、と推測している[9]。
双子の英雄神の手によって大敗を喫した後のシバルバーとその住人の役割ははっきりとしないが、その後も永く冥府の暗がりとして存在し続けたようである。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%90%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%BC
ツァコル:マヤ神話「ポポル・ヴフ」では、空の神であり、人類を創造するための最後の2つの試みに参加した創造の神々の1人
神々は自分達を崇め、自分達に忠実なものを求め人間を作った。泥、土、木。
黄色いとうもろこしの穂と白いとうもろこしの穂から人間が造られた。彼らは神々と同じように世界の全てを見通すことが出来た。しかし神々はそのことが気に食わず、近くのものしか見えなくなるように最初に創られた四人の男の眼に霞を吹きかけた。
ビトル:マヤ神話「ポポル・ヴフ」に登場する神。形成主と呼ばれる。
アロム:マヤ神話「ポポル・ヴフ」に登場する神。母の神、子を生む神とされる
#6 7 つの部族は13の隊がトゥランから来た
荷:トルコ石,金,緑のケツァル鳥の羽,赤い羽根,そしてまた,書いたもの,彫ったもの,揺り動いたもの,笛,歌,神聖暦,太陽暦,パタシュテ(野生のカカオ),カカオ、矢と楯,丸い木とまっすぐな葦
#7 トゥリャンから運んできた木石(墓標・記念碑)を引き抜く道具が渡された。「木石を我らに与えたのはシバルバイ
#9 ツトゥヒルが 7 つの部族の最初
汝ら13の支配者(アフポップ)よ。汝らは矢と楯,汝らの王権,汝らの力,汝らの威厳,汝らの天蓋,汝らの玉座をひとつにせよ。これは汝らの最初にするものである」とケチェ人に語った。
最初にやってきたのはケチェの人
#11 「行きなさい,汝ら我が娘よ,汝ら我が息子よ。汝の家族,汝の一族は行った。しかし汝は後に続かないだろう。汝は末っ子だ。たしかに汝は大いについている。汝の食べ物がここにある」と木石に語った。
末子相続:(まっしそうぞく、ばっしそうぞく)は、最後に生まれた子供(末子)が財産や家督を相続する制度。対義語は長子相続。
遊牧民社会では、子は成人すると親から家畜群や隷属民など一定の財産を分与されて独立するが、末子は最後まで親許から独立せず、親が死ぬと親の手許に残った財産をそのまま相続することから、末子相続が生じる。先に独立する子が分与される財産は親の財産のごく一部である場合が多く、結果的に末子が親の財産の大部分を相続することになる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AB%E5%AD%90%E7%9B%B8%E7%B6%9A
#21
フエゴ火山:フエゴ山(フエゴさん、スペイン語: Volcan de Fuego)は、中央アメリカ地峡帯に存在する活火山の1つである。グアテマラのエスクィントラ県とサカテペケス県との県境にまたがっており、その標高は3763 mに達する
フエゴ」とは、現地の言葉であるスペイン語で「炎」などを意味する。したがって「Volcan de Fuego」を直訳すると「炎の火山」といった意味である。
なお、フエゴ山の傍には、同じく火山であるアカテナンゴ山(英語版)とアグア山が有るように、付近は火山の多い場所でもある。そもそもグアテマラ自体が、火山の多い地域として知られている[1]。
アグア火山:アグア山(アグアさん、スペイン語: Volcan de Agua)はグアテマラのサカテペケス県にある火山。標高は3,760m。
アグア山の標高はグアテマラ国内で5番目に高く、山頂にはかつて火口湖があった。「アグア」とは現地の言葉(スペイン語)で「水」を意味していて、これは前述のとおりアグア山の山頂に火口湖があったことから由来している。火口湖は1773年の大地震(サンタ・マルタ地震)によって崩壊し、消滅している。アグア山の近くには同じく火山のアカテナンゴ山(英語版)とフエゴ山がある。
火の山の魂に出会った。サクィ・コショルという名前であった。「確かにサクィ・コショルは多くを殺してきた。聞くに恐ろしいことに見るに恐ろしいことに,魔法使いだ」と彼らは言った
#31
クァクシャヌルという名の山の火を見た。実際山の中から出る火は恐ろしく,火は遠くまで及んだ。決して立ち入ることができない。クァクシャヌル山は 1 年中火を噴いているからだ
山の火は恐ろしく,ひとりサクィツヌンという名のものが望んだ。
「確かに彼の霊力と魔力,栄光と威厳はおそろしく,落ちて死んだ。
サクィツヌンが火を取りに行って、持ち帰ったということ?
噴火を、山の魂が解き放たる、という?
#44
その当時黒曜石が養われた果実は大きくなかったという。しかしカシュトック(偶像)を養う果実は大きくなった。生命の果実も大きくなった。 突然大きな果実になった,と父祖が言った。
#45
天然痘が猛威をふるった
#58
それからカイ・ノフとカイ・バッツは言った。「我らの統治が完成するようにと,我らの父が我らに命じていた。我らの息子 2 人が王座につくように」と彼らは言った。カイ・ノフ王の息子がアフチャン・シャヒルの座について,カイ・バッツ王の子供もクァレル・シャヒルの座についた。このため我らの王は 4 人となった。我らはシャヒルである。我らの祖父の統治が彼らの代で完成した
王国を作ったのは我らの最初の祖父であった。汝ら我が息子よ。たった 1 人の我らの母と我らの父が,たった1 人我らシャヒルを生んだ。
キチェー族とカクチケル族は敵対していた