隠れ里、麦搗きの沢
転載元 http://rarememory.justhpbs.jp/tengu/ten.htm
車山から「池のくるみ」に流れるイモリ沢があります。その奥のカボチョ山の裾野においしい湧き水が流れている沢があります。広いススキの原で、大変よい牧草ができる所で「麦搗きの沢(むぎつきのさわ)」と呼ばれています。若者たちはここで、麦を作っていたのです。若者たちは、キジなどの山鳥の飛び方のくせを知ると、それぞれが散らばって、追いかけ回し疲れて止まったところを、素手でつかまえて食べたりもしました。このあたりに多いキツネのまねをしたのです。やがて、川をせき止めなくても、水中に手を浸すだけで、イワナが寄ってくるようになりました。
彼らは、髪もひげも伸び放題で、衣服も元々ぼろぼろでしたから、今では裸同然です。それでも厳しい霧ヶ峰や車山の冬を、コナシの実や白樺の越冬芽を食べ、時には飛ぶような勢いで、真冬の真夜中に人目をさけて厳しい寒さの中、里へ駆け下り、諏訪湖の氷を素手でわり、湖水に手を入れる、それだけで、湖の底で越冬するヒガイやフナが吸い寄せられてきたのです。その不思議さも、金剛力士のようにたくましい自分達の体の変わりようも、毎日見る姿ですから、おたがいに気がつきませんでした。
いくども繰り返される、その光景に、里の人々も気がつかぬはずはありません。金剛力士のように鍛えられた、裸同然の肉体が、縦横に駆け巡る姿は、まさに天狗で、その裸に近い姿が、美しく見えたのです。車山から飛ぶように駆け下る光景を、たびたび見て、上桑原村の人々は「車山の天狗」と恐れながらも、悲しい思いにひたるのでした。