アデナ文化(前期ウッドランド期並行、1000B.C.?A.D.100頃):オハイオ州南部を中心にインディアナ州のオハイオ州との隣接地、ケンタッキー州北部、ペンシルベニア州の南西部、ウェストヴァージニア州の北西部に分布しており、アデナ文化出現期に後のホープウェル文化をはじめとするウッドランド文化の先駆となるウッドランド式土器や墳丘墓、トウモロコシ農耕のすべてが出そろっている。
ホープウェル文化(中期ウッドランド期並行、200B.C.?A.D.500):太陽や月をはじめとする天体の運行を意識した幾何学形のマウンドが築かれた。オハイオ州に所在するマウンドシティ遺跡は当該文化期の大遺跡として知られる。
ミシシッピ文化(後期ウッドランド期及び後期先史時代並行、A.D.500?A.D.1600):セントルイス郊外にあるカホキアやジョージア州エトワー、アラバマ州マウンドヴィルなどに首長制国家の「首都」と目されるような巨大なマウンド群が築かれた。また、ミシシッピ文化期は、オハイオ州のサーペント・マウンドに見られるように蛇や獣、鳥など動物の姿をかたどって土を盛り上げた形象墳(effigy mound)も盛んに造られたことでも知られる。
フォート・エンシェント文化:オハイオ州を中心にケンタッキー州東部、ウェストバージニア州西部に紀元900年~1550年頃まで繁栄し、1750年頃まで細々と続いた文化である。 生業の基盤は、トウモロコシ、豆類、カボチャなどの農耕が中心であり、ヒマワリやアカザ科のキナパッド、そのほか狩猟採集をおこなっていたことがわかっている。
南西部(プエブロ)文化:方、アメリカ南西部(ユタ州、コロラド州、ニューメキシコ州、アリゾナ州)には、12?13世紀ごろに全盛をむかえたプエブロ文化によるキヴァという儀式空間をもつ「町々」が造られ、メサ・ヴェルデ(北緯37・西経108)やチャコ・キャニオン(北緯36・西経107)などの世界遺産に登録されるほどの壮大なものもみられた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E5%8F%B2%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%8C%97%E7%B1%B3%E5%A4%A7%E9%99%B8?msclkid=6c8545ddc84811ec92f7a3b795f616f0
北米の古代遺跡:チリのモンテベルデ(約1万4500年前)、
米テキサス州のフリードキンおよびゴールト遺跡(それぞれ1万5500年前と1万6000年前)、
米オレゴン州のペイズリー洞窟遺跡(約1万4000年前)などがそうだ。
ここに、米アイダホ州西部・クーパーズ・フェリーが加わる。クーパーズ・フェリーにある、遺物が詰まった堆積物の最も深い層は、約1万5000~1万6000年前の範囲と測定された。
クーパーズ・フェリーで見つかった道具と、1万6000~1万3000年前に日本で作られていた遺物の類似性に注目している。この点はひょっとすると、このタイプの有茎尖頭器の起源を暗示するのかもしれない。しかしグレイソン氏は、2つを結びつけることには慎重だ。「遺物の類似性は、本当に手の込んだ物でない限り、関連性を示すとは言えません」
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/19/090500516/?P=1
人類がいつアメリカ大陸に到達したのかについては100年以上も議論が続いているが、およそ1万3500年前というのが長らく通説になっていた。しかし、近年の発掘によって、この年代は徐々に古い方へと見直しが進んでおり、3万年以上前に人類がいた形跡があるとする論文も発表されていた。
メキシコ中北部の砂漠の高山にあるチキウイテ洞窟・チプリアン・アルデレアン氏は、メキシコのサカテカス自治大学の考古学者。
傾斜した洞窟の床を3メートルの深さまで掘り、何千もの石を発見した。氏らはそれらを石刃、尖頭器、剥片石器といった道具だとしている。それらの材料になった石灰岩は、洞窟内には存在しない種類のため、外から持ち込まれたと考えられている。
床の地層のあちこちからは木炭の破片も見つかっている。ヒトが燃やしてできたものか、それとも自然のものかは不明だが、放射性炭素を使った年代測定によれば、およそ1万2000?3万2000年前のもの
今日のチキウイテ洞窟を訪れた人は、こんな過酷で住みにくい場所をヒトがあえて選んで住んだわけがない、と思うことだろう。だがそれは正しくない。
床の地層からは花粉や植物のDNAが見つかっており、ここがかつてはもっと涼しく、緑と水の豊富な場所であったことを示している。2万8000年ほど前のものと推定される深い地層からは、現在のメキシコには自生していないベイマツの痕跡が、ヒトが作った石刃と思われる石とともに発見されている。
地球上で氷河が覆う広さが最大になった2万4000年前は、最終氷期最盛期(LGM)として知られる。その頃、チキウイテ洞窟のまわりにはビャクシン属(ヒノキ科の針葉樹)、マツ、トウヒ、モミが生い茂り、湖や温泉が点在していたと考えられる。「米国のオレゴン州やカナダのブリティッシュ・コロンビア州のようだったはずです」とアルデレアン氏は語る。「今とはまるで違う光景だったのです」
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/20/072800445/
ホワイトサンズ
その足跡は、ついさっきできたものみたいだ。どうやら扁平気味の足を持つひとりの若者がのんびりと歩いていたようで、つま先とかかとの痕跡が、細かい砂の隆起によってはっきりと見える。しかし、これは現代人の足跡ではない。米大陸における人類の最古の証拠のひとつだ。
9月24日付けで学術誌「Science」に発表された論文によると、ニューメキシコ州ホワイトサンズ国立公園にあるこれらの足跡は、2万3000年~2万1000年前に、かつて存在した湖の周辺の泥に刻まれた。その時代には、いまのカナダを覆っていた巨大な氷床によって、人類の北米への進出は阻まれていたはずだと、多くの科学者が考えていた。
人類が正確にはいつ米大陸に住み着いたのかについては、1世紀近くにわたって激しい論争が繰り広げられている。最近では多くの科学者が、1万3000年前より前ではないという説を支持するようになっていた。
一方で、それよりも数千年前に人類が南北米に存在していたことを示す発見も増えつつある。たとえば、チリのモンテベルデ遺跡では1万8500年前、米テキサス州のゴールト遺跡では2万年前のものとされる証拠が見つかっている。しかし、そのいずれに関しても科学者の間では賛否両論が巻き起こっている。
ホワイトサンズの発見は、この議論に終止符を打つとまではいかずとも、興奮を呼び起こすものだ。
公園の地表では、数千年の差がありうる足跡が交差し、何層にも重なり合っている。足跡の年代を確実に測定するためには、足跡の層の上下に、放射性炭素分析で年代を測定できる種子の層を見つける必要がある。そうすれば、足跡の層準(ある特定の地層)が作られたと考えられるもっとも早い時期と、もっとも遅い時期を絞り込める。
合衆国東部におけるクロビス石器
クロービス文化:
メキシコにある「世界の終り」と呼ばれる発掘現場で、アメリカ先住民の起源とされる遺物が発見された。それぞれ4本の牙を持つゾウに似た絶滅種2体の骨と、その周囲を取り囲むようにして見つかった1万3400年前の尖頭器(槍先)である。 メキシコ北西部、ソノラ砂漠にあるエル・フィン・デル・ムンド(スペイン語で“世界の終り”)で発見されたこれらの骨は、アメリカ大陸において明確に定義されている最古の文明に属するクロービス人が、ゴンフォセレ(Gomphothere)を食用としていたことを示す初の考古学的証拠である。ゴンフォセレはゾウ目の古代動物で、現代のゾウと同程度の大きさがあった。
クロービスの遺跡は、これまでで最も古く、発掘場所としても最南端である。クロービス人といえばベーリング地峡が起源と考えられてきたが、そこからはるか遠く離れた場所での発掘
クロービス文化は長いこと、北アメリカの南西、氷河の南とベーリング地峡一帯が起源であると考えられてきた。しかし、テキサス州とエル・フィン・デル・ムンドでさらに古いクロービス人の遺跡が発見された
「これほど遠く南へ離れた場所で最古のクロービスの遺跡が見つかったということは、クロービス文化の起源がおそらく北アメリカ南部のどこかにあるということだ。アメリカ大陸の定住の歴史において、それは様々な意味を持つ」とジェニングス氏は言う。
クロービス人はマストドンやマンモス、バイソンなど巨型動物類を狩ることで有名だが、北アメリカでは珍しかったゴンフォセレまで狩っていたとは考えていなかったとホリデー氏は言う。 ゴンフォセレは、最後の氷河期の間に中央アメリカおよび南アメリカで多く見られ、南アメリカでは主に高地の草原地帯に生息していたが、1万年ほど前に絶滅した。
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/article/news/14/9482/
北米大陸にて、これまでに発見された中で最古となる人々の集落の遺跡が発掘されて話題になっている。
遺跡はカナダのビクトリアから北西約300マイル離れたトリケ島(Triquet Island:ビクトリア大学の考古学チームによって2017年にトリケ島で発見された村は、氷河期に人類が太平洋岸の島々に避難したという地元のファーストネーションのオーラルヒストリーを検証しているようです。この場所で発掘された囲炉裏は放射性炭素年代測定によって13,613年から14,086年の間であると判断され、北アメリカで最も古い集落の1つとなった)にて発見された。遺跡からは槍やモリなどの漁具を含む古代人が用いたと見られる遺物が多数発見されており、14000年前のものと見られている。
・ 年代で考えると古代エジプトの遺跡よりも古い遺跡となり、人類の最古の時代に文明がどのように興ったかを研究する上で重要な発見となると考えられている。
これまでは北米大陸の古代人は氷河期時代に渡ってきてから、厳しい環境もあって永らく文明とは無縁であったと考えられてきた。しかし、今回の遺跡の発見により、北米大陸のみならず世界における古代史の定説が覆る可能性も出てきたと研究者らは語っている。
研究の結果、現在では北米大陸に人間が定住したのは定説よりもかなり早いとみられており、2008年にはコペンハーゲン大などの研究チームがグリーンランドの約3前年前の居住地跡から見つかった毛髪のDNAを調査し、現在極北地方に住むイヌイット達とは異なる人種のものである事実を発見している。
https://mnsatlas.com/?p=20561&msclkid;=6c869656c84811ecba12a7679f19c32e
ポヴァティ・ポイント
ポヴァティ・ポイントの記念碑的土塁群は、ルイジアナ州ウェスト・キャロル・パリッシュにあるアメリカ先住民族の遺跡です。2014年に世界遺産に登録されました。ポヴァティ・ポイントの名は、遺跡の近くにある19世紀のプランテーションか名付けられました。ミシシッピ渓谷の中の小高く狭いところにあります。
ここは紀元前1500年から紀元前700年の間、狩猟採集民が居住や祭礼の場として数百年間使っていたと考えられています。周囲は森林と湿地で、これらを利用して都市が造られたと考えられています。中心部は6つの同心八角形から成り、最も外側の直径は約1.3km。1つずつ土を盛った畝で出来ています。
現在この八角形は、付近を流れる川によって半分ほど削り取られた状態です。大小5つのマウンドがありますが、最大のものは中心の西側にあります。高さ約20m以上あり、この上からは春分と秋分の日に八角形の中心点の真上から太陽が昇ってくるのがはっきりわかるのです。
発掘調査では槍先、ナイフや容器などの石器製品、料理に使われた多数の粘土の玉などが発掘されました。近くに採掘場がないので、交易を行っていたと考えられています。
この遺跡についてはっきりしたことはまだ解っていませんが、北米において重要な遺跡であることは間違いありません。世界遺産への登録は富士山と同じ2014年です。
https://worldheritagesite.xyz/poverty-point/